年商40億超え 地方のお菓子を世界へ…サブスクで復興支援
6月中旬、近本さんと「サクラコ」のバイヤー・日野利香さんは、元日の大地震で、甚大な被害を受けた能登半島を訪れた。「サクラコ」の10月号を「石川県」に決めた近本さん、能登半島の菓子メーカーを入れることで支援できないかと考えていた。 地震で全焼した輪島朝市を目にして、呆然と立ちすくむ近本さん。実は、近本さんは兵庫県西宮市の出身。阪神・淡路大震災が発生した当時は小学4年生だった。そうした経験から、被災した人々の思いを痛いほど感じていたのだ。
2人が向かったのは、3月から製造を再開した「栄煎堂」。2代目社長の中森 治さんと長男の虎太郎さんが営んでいる。看板商品の「ごませんべい」は、半世紀以上、輪島の朝市の屋台で販売してきた名物で、ジャガイモのでんぷんから作ったほのかな甘さが特徴だ。 近本さんが、ぜひ「サクラコ」で取り扱いたいと伝えると、虎太郎さんは「むしろ入れてもらえるなんて光栄」と快諾した。
翌日、近本さんたちは能登町にある「横井商店」へ。伝統の「松波飴」を手がける150年続く老舗だ。出迎えてくれたのは、5代目の横井千四吉さん(75)と営業を担当する次男の裕貴さん(45)。千四吉さんは「私らの飴は、米と大麦で作った飴。砂糖とかそういうものは入っていない」と説明する。
地震で100年以上使い続けてきた竈がひび割れ、一時は廃業も考えた千四吉さん。しかし、米飴の味を絶やしたくないと、地震から1カ月後に製造を再開した。 近本さんが「数万個買わせてもらいたい」と持ちかけると、驚いた様子の横井さん親子。 かつてない大きな取引に、「頑張って作り続けてきた。こういうチャンスをいただいて報われる」と千四吉さん。
被災地・能登の菓子メーカーを救え! “石川版サクラコ”を世界へ
千四吉さんは、息子の裕貴さんに近本さんとの交渉を託すが、なぜか裕貴さんの表情がさえない。実は元日の大地震以来、裕貴さんの心は揺れていた。 「地震があって、このまま能登に住んでいていいのかな。若い人はどんどん能登から去っているし、取り残された感はある」と裕貴さん。 就職氷河期世代の裕貴さんは、新聞配達をしながら通っていた大阪の大学を中退。自動車の組立工や通信会社の派遣社員、介護士など職を転々とし、6年前、実家に戻ってきた。 「父と母が仕事ができなくなったら自分一人になる。一人で製造も営業も事務も全部できるか…難しいと思う」。裕貴さんは、店を継ぐのを半ば諦めていた。