「障害者の支援や市議選への出馬」「公務員として地元に貢献」 土性沙羅と小鴨由水、二人の女性オリンピアンが明かした「第二の人生」
同じ目線で観察すると明確な対応が可能に
その一方で、もう一つ新しい世界を知ることに。福岡市立障がい者スポーツセンターで働くことになったのだ。障害者の夫をもつ友人からの紹介。腕や脚を欠損するなど運動機能を失った人がリハビリする手助けを行う仕事である。 「みんな必死で良くなろうと頑張っているんですね。相手がやる気になってくれたらこちらもモチベーションが上がる。役に立てていることがうれしかったです」 「初級障がい者スポーツ指導員」の資格も取った。 その経験が評価され、同センターから知的障害者のランニング教室を依頼される。風邪を引きにくくなった、集中力がでてきた、と利用者の評判を呼び、教室のサービス期間が終わってからも、個人的に「かものこクラブ」を設立し、活動を継続したのである。 42.195キロをリレーで走る大会に一般ランナーに交じって出場し10人で完走したり、フルマラソンのランナーも育ったりした。 「知的障害の子たちには伴走者が付くことが多いのですが、言葉が通じにくい子、こだわりが強い子でも、観察すると何がしたいかを感じるんです。上からではなく同じ目線で観察すると的確な対応ができて、一緒に走ってくれました」
市議選で次点に
2010年、当時福岡に住んでいた、視覚障害のランナーの道下美里さんが伴走者の依頼をしてきたことも。フルマラソンのタイムを上げたいという話で、小鴨さんは約1年担当した。その後の活躍は周知の通り。見事、東京パラリンピックで金メダルを取った。 前記の重松さんと、彼の秘蔵っ子・吉冨博子選手と三人で立ち上げたのが「ファーストドリームAC」だ。 「実業団チームの廃部や出産、けがでフリーとなった女性ランナーが一緒に走って夢を実現するクラブをつくったんです。私はキャプテンでしたが、フルマラソンで3時間を切る選手が、私を含め8人ほどでました」 それ以外にも市民ランナーを個別に指導する活動をし、西日本短期大学では非常勤講師を務めつつ駅伝部監督としても活躍、22年にはコンピュータ教育学院に陸上部を創り、監督に就任している。 また19年、福岡市議会議員選挙に担ぎ出され次点になったり、私生活では夫と離婚、その後に死別という経験もした。