「義足は個性」モデル・海音が自分を肯定できた理由
「義足の自分は普通じゃない」モデルの夢も失い、対人恐怖症に
――初めて義足をつけたときは、どんな気持ちでしたか? 海音: 義足を初めてつけたときはすごく痛くて、泣き叫んでいました。手術した後でまだ脚が腫れているのに義足で圧迫しなくちゃいけないので、やっぱりすごく痛かったです。 でも、車いす生活だった頃から「また歩きたい」とずっと思っていたから、「ここで乗り越えないといけないな」と思って、毎日リハビリを頑張っていました。本当は「3カ月間リハビリをしてようやく歩ける」ってお医者さんに言われたんですけど、家族の助けもあって、1週間で完璧に歩けるようになって、1カ月で退院できたんです。 ――それはすごいですね! 退院後の生活はどうだったのでしょうか? 海音: 義足になって歩けるようになったけど、義足であることは隠すって決めていたんです。義足は私にとって歩くためのただの道具だし、「義足の自分は普通じゃないから、隠せるなら隠していきたいな」って思って。だから、歩行訓練のリハビリも毎日やって、リハビリが終わった後も、義足をつけているのが分からないくらいきれいに歩けるように努力したし、服装でも義足を隠す工夫をしました。 ただ、義足になってから、夏にショートパンツを履いている子の脚を見ると、「ああ、良いなあ」とどうしても思ってしまうこともありましたね。
――モデルとして活躍したいという夢に対しては、どう思っていたのですか? 海音: 実は、薬の副作用もあって30kg以上太ってしまったんです。着たいお洋服も着られなくなってしまって……。かわいいお洋服とか着てお出かけしたいなって思っていました。 私は5歳の頃からキッズモデルをやっていて、10歳からはモデルをしながらアイドル活動もしていました。当時から東京ガールズコレクションなどの大きい舞台に出たい、有名な雑誌に出たいと夢見ていました。でも、義足になったし、30kgも太ったから、モデルとして活躍する夢も失ったも同然。ただなんとなく毎日を過ごしている日々が続きました。 そのうち自分に全く自信が無くなって、対人恐怖症のようになってしまったんです。外を歩いていても、人がたまたま目線を下に向けただけで「義足が見えているかもしれない」と気にしてしまうことはよくありました。家にこもりがちになって、写真を撮られることもすごい嫌いになりました。友だちと会っても写真を撮らないし、そもそもあまり友だちとも会わなくなりましたね。前の姿とすっかり変わってしまって、当時は自分のことが好きじゃなかったですね。 ――モデルという夢も無くしていたなかで、元の体形に戻していくことは大変だったのではないでしょうか。 海音: 入院生活で病院食を食べていた期間が長かった分、退院後は食べることだけを毎日すごく楽しみにして生きていたんですよね。おじいちゃん・おばあちゃんの家に行って、よくお好み焼きパーティーや手巻きずしパーティーもしていました。 ただ、昔の姿と全然違う体形なのがやっぱり嫌になってきて、昔の姿に戻りたいと思って頑張ってダイエットしたんです。食事制限をしたり、体を動かしたりして、なりたい体形に戻すことができました。努力してなりたい自分になれたことは、また自分を好きになるきっかけになりましたね。