イスラム教の「過激派」とは なぜ自爆テロまで行うのか? 国際政治学者・六辻彰二
イスラム「過激派」の台頭
しかし、あらゆるイデオロギーがそうであるように、イスラム主義の場合も、同様の旗を立てていても、目標を達成するための手段で異なる、多くの勢力が存在します。大きく分けると、そこには合法的な政治活動や貧者救済といった社会活動を重視する「穏健派」と、目的のために手段を選ばない「過激派」、「急進派」がいます。 穏健派と過激派の間には人の行き来もあるため、「イスラム主義には穏健派も過激派もなく、いずれも脅威だ」と主張する立場もありますが、少なくともイスラム主義政党などがテロ行為を公式に容認することはありません。 イスラム過激派は、多かれ少なかれ、米国を敵視しています。 国際テロ組織アル・カイダを率いたビン・ラディン(サウジアラビア出身)や、これを現在率いるアル・ザワヒリ容疑者(エジプト出身)は、もともとそれぞれの母国で反体制運動を行っていましたが、当局から厳しく弾圧され、社会で孤立していました。 その中でビン・ラディンらは、それぞれの出身国政府と結びついているだけでなく、パレスチナ問題に深くかかわり、さらに湾岸戦争(1991)を機にメッカとメディナというイスラムの二聖都を擁するサウジアラビアに部隊を駐留させてきた米国を批判する方針へシフトし、1998年に「対米ジハード(聖戦)」を宣言。各国で追い詰められていた過激派たちは、米国を「ムスリム共通の敵」に位置付けることで、埋もれていた支持層の発掘に成功し、一気に勢力を拡大させたのです。2003年のイラク戦争とその後の占領政策は、この気運をさらに増幅させたといえるでしょう。
イスラム法学者は距離を置く
イスラム過激派は、米国との戦争を「異教徒に対するジハード」というイスラムの文言で正当化しています。そのため、米国人であるかどうかにかかわらず、異教徒であれば標的になり得ます。さらに、自爆テロを「殉教攻撃」と呼び、それによって死後の安寧が約束されると説いています。 フランス革命からナチスに至るまでのテロを考察した哲学者ハンナ・アレントは、あらゆるテロに共通する思考を「全体の利害と個々の特殊利害が一致しない」と捉えました。この観点からイスラム過激派をみると、「ムスリムの同胞の困苦を救う」という彼らにとっての全体の利害のためには、個々の生命や幸福といったものは度外視されなければなりません。ムスリム同胞の困苦に対する哀れみの感情が強いほど、自爆テロだけでなく、異教徒や人質に対するより非人間的な行いをも平気で行えるようになるといえるでしょう。