「この世は終わりだと思っても、それでも人生は続く」大槻ケンヂが苦悩と向き合いながら音楽を続ける理由
“コール&レスポンスがない”コロナ禍のライブ。「もうダメだ」と思ったことも
――コロナ禍で特にミュージシャンの方はライブができない時期が続きました。この状況を大槻さんはどう思っていたのですか? 大槻ケンヂ: コロナ禍が始まったころは、ミュージシャンはガラッと状況が変わっちゃったので、普段、うつの気配がない人でも、やっぱり「あのころはちょっとうつになってた」って言う人が多かったですね。 ロックバンド、特にボーカリストはダメージがあったと思うんですよ。ボーカルって、バンドの中で直接お客さんとやりとりする係でもあるんですね。コロナ禍になってから客席からの発声が禁止になり、コミュニケーションの手段だったコール&レスポンスがなくなったんですよ。まあ、今まで正直、サビのきついところとかは、客席にマイクを向けていた部分もありますけど(笑)。コロナになってイェーイって言っても、イェーイって返ってこない状況になってしまいました。 あるライブのとき、ちょっとうつ気味だったこともあって、本当にステージ上でどうしようもない気分になってしまったことがありました。コール&レスポンスでフィードバックしていくスタイルだったのに、それができなかったことで、もうダメだと思っちゃって。若いミュージシャンだったら、そこで歌うのをやめて帰っちゃったりとか、打ちひしがれたりということをやっても格好がつくけど、この歳なのでなんとか最後まで乗り切ったんですけどね。ライブが終わってから、生まれて初めて楽屋でメンバーに謝ったんです。「不甲斐ないライブをしてしまった。すまない」って。お客さんは満足してくださってたんですけどね。 ――その状況から調子が戻ってくるきっかけはあったんですか? 大槻ケンヂ: ライブはいまだにお客さんは発声禁止の場合が多い。だけど、それでもお客さんは喜んでくださってるし、楽しもうっていう意識が高い。あと、筋肉少女帯のライブではじめてペンライトをグッズで売り出したら、皆さん振ってくださって。お客さんが楽しんでるんだっていうのもわかったんです。だから今、見方を変えればとっても良い感じになっています。