親の死を望む子ども…なぜ?心理的虐待受けた当事者「居場所も連絡先も教えずに逃げたい」「あたたかい家庭に憧れるが、実現できるか不安」 親との向き合いを考える
■毒親の主な要素
いわゆる「毒親」の主な要素としては、「●●大学に行きなさい」「恋人と別れなさい」といった過干渉、「親の言うことを聞け」「あなたなんか産まなきゃ良かった」といった暴言・暴力、「子どもにかまわない」「食事や身の回りの世話をしない」といったネグレクトがある。
ななさんの父親も「毒親」に当てはまるのか。旦木氏は「子ども自身が『毒親』と言うのなら、毒親ではないか」と指摘し、「精神的な虐待と言える。目の前で物を壊されて、怒号が飛び交うのはDVにあたる。居心地の良くない家庭だったのだろう」と話す。
元衆議院議員で弁護士の菅野志桜里氏は、子が親の死を願うことを「ダメとは思わない」と語る。「親であれ他人であれ、死を願うことは人間にあり得るが、願うことで苦しくなるのではないか。周囲の評価よりも、自分として苦しい気持ちにならないのか」。この問いに、ななさんは「つらさよりも、『父親を憎むことが許されるんだ』と気づけた幸せがある」と返す。
ハヤカワ五味氏も、最近まで「両親とも死んでほしい」と思っていた。「ここ数年で折り合いが付いた。今も『生きてほしい』とは思っていないが、『興味がないな』と、いい具合の距離が生まれた。これまでは“親らしさ”を期待して、友達の『親との会話』や『親に頼った経験』がうらやましかったが、世の中にいる“変な人”を見て、たまたま親もそうだったと割り切った」。
■「あたたかい家庭に憧れるが、自分が実現できるかは不安」
ななさんは「親が死んでから人生が始まる」と話すが、同じように考える人は他にもいる。みゆさん(40代)は、母が毒親(過干渉・ヒステリック・虐待)で、小学生の頃から死を願っている。現在は別居しているが関わりを断ち切れず、母親が死ねば自分が「普通」になれると考える。SNSにも、同様に「親が死んでから、やっと人生が始まる」「親が死んだら自由になれる」といった投稿が見られる。 ななさんは現在、“死を願うも殺したくない”といい、「包丁を買って殺そうとしたこともあるが、殺した先にある未来と、死ぬのを待つ未来を比べた結果、自分で殺すのはコスパが悪い。どちらの方がいいか、ある程度は冷静に考えられている」。 死を待つ時間が“もったいない”との意見もあるが、「姿や声、存在自体が、私の人生にとって邪魔だ。もったいないと言われるが、殺す決断はできない。かといって全く関わらないこともできない。LINEをブロックしても、家に電話が何度もかかってくる」と話す。 父親から物理的に離れられるよう、母親がサポートする形もあり得るが、「母はそこまでしない。考えてもいないのでは」と語る。「父と住まわされる最悪の事態は免れている状態だ。母親は離婚したくないタイプ。母の両親も離婚していて、その連鎖が嫌だと言っている」。“連鎖”については、父親側にも考えられる。「貧乏な生活で、子どもの頃には親戚中をたらい回しにされていた。今で言えば『虐待』とされることも、たぶんあっただろう」と推測。 ななさんは、現状を変えたい思いがある。「自立できるなら、居場所も連絡先も教えずに逃げたい。可能な限り早く離れたいが、現実性を考えると、後回しにしてしまう」。いざ逃げる際には、新しい家族を持ちたいか。それとも、もう家族を作るのはつらいのか。「あたたかい家庭に憧れるが、自分が実現できるかは不安。親から受けたことを、周囲にもしてしまうのではと、自分に疑いの目を向けている」と答えた。 (『ABEMA Prime』より)