亡者・亡霊は消えていく…ヨーロッパの「古い信仰」が「キリスト教」にとって変わられたときに起きたこと
亡者のゆくえ
日本とは、いったいどんな国なのか。 日本社会が混乱しているように見えるなか、こうした問題について考える機会が増えたという人も多いかもしれません。 【写真】天皇家に仕えた「女官」、そのきらびやかな姿 ヨーロッパとの比較のなかで日本について知る、あるいはよりシンプルにヨーロッパ的な精神の歴史について知るうえで最適なのが、『西洋中世の罪と罰』(講談社学術文庫)という本です。著者は、西洋中世史の研究者で一橋大学の学長も務めた阿部謹也氏。 本書は、西洋の中世における死のイメージや、罪の意識などを通して、「西洋的精神」にわけいっていきます。 たとえば本書では、中世ヨーロッパの土着の信仰が、キリスト教によって駆逐されていくときのリアルな様子が紹介されています。本書より引用します(読みやすさのため、改行などを編集しています)。 〈……キリスト教と亡者たちとの関係を示す話をあげておこう。 《ソーヴァルドの父コドランは、司教が教える新しい宗教(キリスト教)を拒否して、自分には守護霊がいる、それは二つの顔をもち壁や石のなかに住んでいるという。この守護霊が、彼と彼の家畜を受け入れてくれるのだという。 司教はその石に聖水をかけた。夢のなかでその守護霊がコドランを訪れて、非難していった、聖水が守護霊とその子どもを焼いていると。司教は繰り返し聖水の攻撃を続け、やがて守護霊はコドランの夢のなかに窶れ果てたありさまで現れた。司教の三回目の攻撃の後コドランの夢に現れ、去っていったのである。》 土地の守護霊がキリスト教に追われてゆく姿を描いた話であるが、第六章で扱う具体的な史料にみられるように、実際に十一~十三世紀からキリスト教の浸透とともに、樹木信仰や泉の信仰は否定されていく。〉 〈アイスランドにおけるキリスト教の浸透は、ノールウェー王の武力をもって行われ、人びとは信仰か死かの厳しい選択の前に立たされていたから、アイスランドの住民が生き残ろうとすれば、キリスト教を受け入れざるをえなかったのである。 キリスト教の浸透とともに亡者の姿も大きな変化をみせる。かつてのような暴力を振い、人間に害をなす元気のいい亡者たちに代わって、人間に救いを求める哀れな亡者の姿が目立ってくるようになるのである。このような亡者あるいは亡霊の変貌は、いったい何を物語っているのか。それはヨーロッパ中世の人びとの心性を枠にはめようとする力が、大きな力を振うようになる状態を示している。〉 この記述からは、信仰を奪われることの重み、あるいは信仰の変化によって社会が変わっていく様子の一端を、うかがい知ることができます。 * 【つづき】「ヨーロッパの「中世の物語」の登場人物たちが「死を恐れなかった」のは、なぜなのか? そのウラにある「意外な考え方」」の記事では、中世の人々の「死への感覚」についてさらに見ていきます。
学術文庫&選書メチエ編集部