核のごみ処分地選定:自治体の手上げ方式は「限界」の声。国内初、北海道で文献調査の報告書
「こんなに叩かれるのか」
寿都町の片岡町長は報告書が公開される直前のインタビューで、文献調査の経緯を振り返り、複雑な心境を吐露した。この間、町民の間に核のごみ問題を自分ごととして考える人が増えた一方で、町や町長自身への風当たりが予想以上に強かったからだ。「私は、停滞する国内の核のごみの議論に一石を投じようと手を挙げた。核廃棄物は国内のどこかに処分しなくてはならず、本来はどの地域も真面目に考えなくてはいけない。それに手を挙げた小さな自治体が、なぜこんなにも叩かれなくてはならないのか」
SNSで「北海道の恥」
片岡町長の「複雑な心境」は、地域に寄せられた激しい批判が影響している。「北海道の恥さらし」「寿都の特産物はもう買わない」「狂気の沙汰だ」などとインターネットやSNSへの書き込みが相次ぎ、役場には抗議の電話やファクスもあった。 寿都観光物産協会の会長で、ネットで寿都の魅力を発信している西村なぎささんは、調査開始当初、寿都関連のSNSに誹謗中傷のような書き込みがあふれる様子に背筋が寒くなった。「核のごみの問題が起きる前は応援の声が多かったのに、一転して、『寿都は最悪』という書き込みばかりになった」と振り返る。 北海道の鈴木直道知事は当初、「札束で頬をたたくやり方だ」と国やNUMOを批判。調査について「現時点で反対」の立場を示した。北海道は、核のごみの地層処分を研究する「幌延深地層研究センター」建設に関し、2000年に核のごみの持ち込みを「受け入れ難い」とする条例を制定しているためだ。寿都と神恵内の周辺の4町村は、調査開始に対して「核抜き条例」を制定し、核のごみの持ち込みに反対を表明するなど、両町村への「包囲網」の動きもあった。メディアからも批判的な論評が相次いだ。
町民に賛否、しこりも
文献調査は、一時的な批判だけでなく、中長期的に見ても地域に少なからぬ影響を及ぼした。 「核のごみがわが街に処分されるかもしれない」。住民は、否応なしに核のごみの問題に向き合うことになった。地域では、住民向けの「対話の場」が17回、説明会や勉強会も開かれた。青森県六ヶ所村の核廃棄物再処理工場用の施設などを訪れ、核のごみの処理方法について学んだ住民もいる。 寿都町の対話の場に参加してきた電気店の社長、田中則之さんは「以前は他人事のように考えていた核のごみを、調査受け入れを機に自分たちの問題として考え、人口減が続く地域の将来についても議論するようになった。私たちは原発の恩恵を受けている。ごみ処分場について調査したり、話し合ったりすること自体を否定すべきではない」と、この4年間を前向きに評価する。