世界最高峰の心臓外科医が留学後に受けた「屈辱」、「白い巨塔」にはびこっていた“排除の力”とは
医療は、患者さんたちのためにあるべきです。医者のためでも、ましてや医者たちの政治のもとにあるわけでもありません。優れた医療こそが、トップ・プライオリティでなければいけないのです。 ただ、若い医者がひとりで声を張り上げたところで、何も動かせません。それが現実で、組織内で力を持つことも必要なことも知りました。 もしみなさんがいま、思うような評価を周りから得ていないと感じたり、いくらがんばっても何も変わらない状況が続いていたとしましょう。そんなとき、どうするべきか?
理不尽だと感じても会社の方針に従い、悔しさを忘れることに努め仕事に従事する。あるいは「やってられるか!」と啖呵を切って会社を辞める。 いずれも不正解です。 なぜ、いま自分と周囲の評価がかけ離れているのかを考えるべきなのです。自分に何が足らなかったのかを。あきらめても、自棄を起こしてもいけません。私がもしあのときに自棄になっていたら、世界一の心臓血管外科医にはなれなかったでしょう。 周りからの評価は冷静に受け止め、いま何が足りていないのかに気づくことが、自分の心の成長につながるのです。
■「屈辱」をバネに難手術を次々と成功 人が大きく成長するカギは、挫折を味わったときと、屈辱を味わったときだと思います。 挫折は自分との対話によって味わうものですが、屈辱は誰かによってもたらされる、より味わいたくない感情です。残念ながら私は後者でした。 ハノーファー医科大学での2年半、そして富山医科薬科大学での8年間は、私を医師として大きく成長させてくれました。 富山医科薬科大学時代に「オフポンプ手術」「アウェイク手術」そして「完全内視鏡下手術」に取り組み、成果を上げられたことには、周囲の方たちにも深く感謝しています。
とくに、私のチャレンジを温かく見守ってくれた山本恵一教授には感謝の念に堪えません。 もし、ドイツから帰国したあと、金沢大学に残っていたら飼い殺しにされてチャレンジできなかったかもしれません。いま振り返れば、富山医科薬科大学に勤められたことは、私にとって幸運なことでした。 それでも、かつては尊敬していた金沢大学の助教授から、「君の居場所は、ここにはないよ」と告げられたあの日のことは絶対に忘れないと心に誓いました。