世界最高峰の心臓外科医が留学後に受けた「屈辱」、「白い巨塔」にはびこっていた“排除の力”とは
それだけではありません。患者さんの回復も早く、早期に退院していくのです。当時の日本との心臓外科手術のレベル差を痛感しました。 そんな体験ができたことは有意義だったのですが、ハノーファー医科大学留学直後の私のメンタルは相当やられていました。語学学校に通ったとはいえ、私のドイツ語は周囲とコミュニケーションをとるのに充分ではありませんでした。徐々に解消されていくのですが、最初の数カ月はそのことでかなりのストレスを抱えていました。
また、周囲から向けられる目も冷たいのです。「よくわからないよそ者が来た」。ドイツの医師たちは、そんなふうに私を見ていたと思います。初めてボルスト先生の医療チームに加わり、そのやり方を何もわからない私に対して誰も助け船を出してくれませんでした。 私が飛び込んだ世界は、完全なる実力主義社会でした。自分より年上だからとか、先に入ったとかは関係ありません。上手いか、上手くないか。ただそれだけです。 なぜなら、それが患者さんの命を救うことにつながるからです。
おいしくないレストランには行かないでしょう。下手な美容室でわざわざ髪を切ってもらおうとは思わないはずです。どの世界でも同じです。質を確立するためには、量しかありません。「量のない質」はありえません。ただの幻想です。 ■帰国後に告げられた「忘れられない言葉」 成果を上げているのに、周囲から評価されない。自分のほうがうまくやれているのに、認められない。「実力主義」とはかけ離れたところで、実力を発揮するチャンスを妨げられる―。
これらは病院に限らずどの業界でもあることかもしれませんが、当事者にとってはつらいことです。 留学先のドイツから日本へ帰国したときの話です。 ドイツで学んだことを、日本の医療に活かしたい。患者さんたちのために、よりよい手術を実践していきたい。そう強く決意し、帰国したのにもかかわらず、「君の居場所は、ここ(金沢大学)にはないよ」と言われ、金沢大学の医局から富山医科薬科大学への異動を命じられました。 留学中に私が上げた成果は、喜ばれることなく逆に妬まれ、排除の力が働いたようでした。寂しさを感じました。と同時に、実力主義であるドイツとはかけ離れた日本の現状を憂い、「なんとかしなければいけない」とも思いました。