アドラー心理学の哲学者、岸見一郎が「老後に不安を覚える」すべての人に送るメッセージ
【今回のお悩み】 「暮らしに余裕もなく、キャリアもスキルもないのでいまから働くこともできない60代です。この先、何もないまま人生が終わるのかと思うと悲しくなります」 【画像】一日を丁寧に生きること 「老後の生活」がすぐ目の前に迫っている人、年金生活になるまでにはまだ時間がある人──状況はさまざまでも、将来を考えると金銭的な不安を覚えることはあるでしょう。さらに、生活に余裕がなければ趣味を楽しむことすらできません。そのような状況に誰もが陥りかねない現代で、どのように生きていけばいいのでしょうか? アドラー心理学に詳しい岸見一郎先生に聞いてみました。 自分に対して、自分にしかいえないことがあります。私は昔、大きな病気を患ったことがあります。仕事を失うなど、病気になっていいことは何もないと思いました。これからの人生を悲観しているときに、「病気になることにも意味があった」とか、「病気になってよかった」とほかの人にいわれたら、「こんなに苦しいのがわからないから、そんなことをいうのだ」と反発したかもしれません。 命の危機を脱し、病状が落ち着いてきたある日、主治医と今後の生活について話す機会がありました。医師の話の要は、疲れたら休む、病気を理由に仕事を断ってもいい、というものでした。それまで私は疲れても休まず、仕事はできるだけ引き受けていましたが、そのような生き方を改めなければならないことに思い当たりました。 その話をしたとき、症状が落ち着いてきたとはいえ一年後には手術が控えており、退院後の人生を想像するのは難しかったのですが、話しているうちに生きる勇気を少し持てた気がしました。 前置きが長くなりましたが、この先、何もないまま人生が終わるのかと思うと悲しいと、私も感じたことを思い出したのです。そのときの絶望感からどう抜け出していったのかを書いてみましょう。
何かを成し遂げなくてもいい
この先、八方ふさがりに思えても、何もできないわけではありません。むしろ、何かをしないわけにいかなくなります。誰も孤島で、一人で生きているわけではないので、ほかの人が何らかの仕方で自分の人生に関わってくると、人生が変わらないわけにいきません。この先、さらにいま以上に苦境に陥ることがないとも限りません。 そう考えると、暮らしに余裕がなくても、何も起こらなければ幸福に生きられるともいえます。しかし、何かが起きれば不幸になるのではありません。反対に、幸福になるのでもありません。何が起きても起きなくても、幸福に生きられるかそうでないかは、人生をどう見るかにかかっています。 私は若い頃、人生で何者かにならないといけないとか、何かを成し遂げなければならないと思って生きてきたように思います。子どもが一生懸命勉強をして、成功することを期待する親は多いでしょう。子どものほうも、大人の期待に応えようとしたり、知らず知らず大人の敷いたレールの上を歩いたりすることがあります。 そのレールとは、大学に進学し就職するというような道筋です。これを目標に、努力する日々を送ります。問題は、目標を達成するまでの日々が準備のためのものになってしまうことです。目標を達成するために、あらゆることを犠牲にする人もいるでしょう。一方で、目標を達成することが励みになって充実した日々を送れると感じる人もいるでしょう。 ところが若い頃と違って、「これをやり遂げる」という明確な目標がなくなると、これまで何かの目標を達成することに人生の意味を見出してきた人は、この先自分の人生には何もないと思うことになってしまいます。 しかし、何かになるとか、何かを達成しないといけないと思うのは、決して自明のことではありません。そのように思ってしまうのは、いまの世の中では、何かを成し遂げることに価値があると考える人が多いからであり、そのような考え方に若い頃から慣れてしまっているからです。 自分も何もできなくなる日がくるとは考えていないように見える若い人が、「老人は生きる価値はない」というようなことをいうのを聞くと、ひどい話だと思います。その一方で、生産性に価値を見ることを当然のように受け入れてきた人は、この先何もできなくなると生きていても意味がないのかもしれないと思ってしまいかねません。アドラーが次のようにいっています。 「老人は働き努力する機会をもっと多く持てば、より多くのことを成し遂げ、ずっと幸福になることができる。六十、七十、あるいは八十歳の人にすら仕事をやめるように勧めてはいけない」(『子どもの教育』) 現代は、働かざるを得ないということが問題なのですが、アドラーがいっているのとは違って、働いていなくても自分に価値があると思えなければなりません。 どんなときに自分に価値があると思えるかといえば、自分が何らかの方法で他者に貢献していると感じられるときです。働くことで他者に貢献していると感じられるというのは本当ですが、働くことでしか貢献感を持てないと考えるのは間違いです。