【続報】子どもみこし「譲ります」内記六自治会 製作した故人の地域が当選
京都府福知山市の内記六丁目自治会(臼井博之自治会長)が、もらい手を探していた子どもみこしの譲渡先が決まった。9月26日付の両丹日日新聞で報じ、市内外から6件の応募があり、抽選で選ばれたのは市内の鋳物師町自治会。鋳物師町は46年前に、このみこしを作った故人が暮らし、今は孫が住んでいる地域。不思議な運命に関係者たちが驚いている。 子どもみこしは、鋳物師町の故・俣野文夫さんが66歳だった1978年に、内記六丁目から依頼を受けて手作りしたものだった。それ以降、子どもたちが、御霊公園や広小路一帯でにぎわった「秋の市民まつり」で担いでいたが、子どもが少なくなり、ここ30年ほどは使用されていなかった。 そこで、内記六丁目自治会は手放すことを決め、引き取ってくれる団体を募り、両丹日日新聞も記事を掲載。受付期間の10月3日までに6件の申し込みがあり、抽選した。
孫が亡き祖父のみこしと再会
鋳物師町自治会も応募団体の一つだった。町内に暮らす俣野さんの孫、阪口芽久美さん(56)が、祖父が作ったみこしが内記六丁目にあること、また譲渡先を探していることを知り、不思議なストーリーが動き出す。 阪口さんから依頼を受けた浜野潤自治会長(76)は「俣野家は鋳物師町の発展に貢献された地域の名家。抽選なので、どうなるか分からないが、みこしに里帰りしてもらえるなら」と申し込んだ。 当選したことで、阪口さんは祖父のみこしと久しぶりの“再会”を果たした。 過去の両丹日日新聞の報道などによると、俣野さんは鋳物師町で鉄工所を営んでまちの発明家として知られ、晩年は骨とうと民芸の店を開いていた。 9日に鋳物師町公民館でみこしと対面した阪口さんは「瓶のふたをプレスしたものが飾りにしてあって、古い物を再利用していたおじいちゃんらしい」と感慨深く、じっくりと眺めた。 アルバムの写真を持参し「当時私は10歳で、みこしをよそに持っていくと聞いて残念に思ったことを覚えています」と回想。「おじいちゃんは私が中学3年生のときに亡くなりましたが、バイクに乗せてもらって土手を走ったり、よく遊んでくれました。鋳物師町にみこしが帰ってきたのは、おじいちゃんが引き寄せたのかな」とほほ笑んだ。 浜野自治会長は「今後は高良厄除神社の大祭のときに活用し、地域の宝、誇りとして、次の世代に引き継いでいきたい。担ぐことで子の思い出づくりになれば」と話していた。また、日程などは決まっていないが、子がみこしを担いで練り歩き、地域にお披露目する機会を作りたいという。