松本幸四郎「初めて出た歌舞伎以外の芝居『ハムレット』は、14歳で訪れた転機だった。18歳で初海外公演、自分を見つめ直すきっかけに」
ところで1991年、ロンドンでジャパンフェスティバルが開催され、『葉武列土倭錦絵』が上演された。これは1886年に仮名垣魯文によって書かれた翻案物を、この時参加作品として新しく歌舞伎化したもの。 ――何とシェイクスピア本場のイギリスで『ハムレット』を上演したんですね。僕は葉叢丸(はむらまる)と実刈屋姫(みかりやひめ)、つまりハムレットとオフィーリアの二役を演じました。 18歳という、何でもやってみたいと思っていた時期で、この場面はどんな衣裳で、どんな動きをするかとか考えてはみるものの、具体的には何も出てこない自分がいたんですよね。 ですから夢を見ていただけなんですけど、でもそれを実現するためには何が必要なのか、気づいただけでもよかったと思う。 とにかくあの時は字幕もイヤホンガイドもないし、どうやって観せるんだろうと思ったけど、向こうでは日常に演劇を観る習慣があるんですね。ましてシェイクスピアだし、字幕がなくてもシーンはほとんど把握してる(笑)。 現地の方は、この歌舞伎仕立ての『ハムレット』は面白いか面白くないか、という感じで観に来る。だから反応がすごくよくて、手応えがあったんです。 ロンドンを打ち上げて、ダブリンやニューキャッスルにも行きましたし、初めての海外公演で改めて歌舞伎役者としての自分を見つめ直した、という意味で、これは第2の転機だったかもしれません。 (撮影=岡本隆史)
松本幸四郎,関容子
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