松本幸四郎「初めて出た歌舞伎以外の芝居『ハムレット』は、14歳で訪れた転機だった。18歳で初海外公演、自分を見つめ直すきっかけに」
その『ハムレット』が第1の転機ともなるのだろうか。まだこの舞台の最年少記録は破られていないかも。 ――そうかもしれないですね。演出の末木利文さんが父との芝居でご縁があって、14歳の『ハムレット』を是非、ということになったんですが、そこに飛び込んでみると、自分が役になって動いてないのがわかるんですよね。それで悩むし、口惜しいし。 ハムレットが父王の亡霊に出会って、殺された時の状況を聞いた後に、満天の星を見上げて語る長い独白があるんですが、夜遅く稽古を終えて一人とぼとぼ帰る途中で空を見上げて、東京でもこんなきれいな星空があるんだな、とか。 それまで父の演った役の真似をして遊んだりするくらい芝居が好きでしたけど、でも役を演じる、芝居を作るって、こういう難関を乗り越えていくことなんだな、と気づいたのがこの『ハムレット』ですね。 そういうところに14歳の僕を飛び込ませた父の考えというのがあったのかな、と思って。まさにこれが第1の転機だと思います。
◆歌舞伎仕立てのハムレット 歌舞伎の世界に話を戻すと、幸四郎さんが金太郎として初舞台を踏んでから2年後、8歳で七代目市川染五郎を襲名する。この時、祖父八代目幸四郎は初代白鸚に、父染五郎が九代目幸四郎に、という華やかな三代襲名となった。 披露狂言『仮名手本忠臣蔵』「七段目」の大星由良之助役の祖父に、まだいたいけな感じの幸四郎さんが力弥役で厳しく稽古をつけられる姿を私は映像で見ている。 ――ええ、あの映像をご覧になった方々からはよく言われます。あれ、実を言うと稽古風景を撮影する時、まだ祖母から教わってなかったんです。祖母は初代吉右衛門の一人娘で、芝居のことは何でもわかってて僕のお師匠番でしたから。 それで映像では「違う違う、もう一回。いや違うだろ」って怒られてましたけど、あれ、教わってなかったからなんです。祖父との共演はあの時が最初で最後です。 今思えば祖父は10月11月に襲名披露興行をして、翌年の1月にはもう亡くなっているんですから、命がけの舞台とはこういうことだったんだな、と思いますね。
【関連記事】
- 【後編】松本幸四郎「『伊賀越道中双六・沼津』開幕1時間前に大役・十兵衛を任されて。無観客で再び十兵衛を演じた際には、父と特別な時間を過ごせた」
- 歌舞伎役者の初代中村萬壽が語る、三代襲名への思い「時蔵の名を汚さぬようつとめた43年。萬壽の名は平安時代の元号から。孫の初舞台と一緒に譲ることを思い立って」
- 現代劇の女方・篠井英介「舞台上演1ヵ月前に、著作権者から中止の通達が。9年かけてようやく上演できた『欲望という名の電車』。今後もやっぱりブランチをやりたい」
- 長塚京三「ちょっと毛色の変わった学部にと、衝動的に選んだ早稲田大演劇科。どこか遠くに行きたいとパリ留学へ。そこで映画出演の話が舞いこんで」
- 吉田鋼太郎「高校の時初めて見た舞台、橋爪功さんのシェイクスピア喜劇『十二夜』に衝撃を受けて。劇団四季の研究生は方向性の違いから早々に辞め」