「ネガティヴ・ケイパビリティ」とは?"モヤモヤを解決しない力"が必要な理由
「ネガティヴ・ケイパビリティ」という言葉をご存知ですか? 「モヤモヤをすぐに解決せず、そのままにしておく力」と言われ、現在、この概念が注目され始めていますが、なぜ今、この力が必要とされているのでしょうか? 著書に『ネガティヴ・ケイパビリティで生きる』(さくら舎)を持つ、哲学者の谷川嘉浩先生にお話を伺いました。 【画像】メンタルヘルスを整えるアイデアまとめ
■モヤモヤをそのまま心の棚に置いておき、余裕があるときに取り出して考える ――「ネガティヴ・ケイパビリティ」とは、モヤモヤをそのままにしておくことを許容する力、と言われています。変化が速く、問題解決が迅速かつ柔軟に求められる現代において、この力を持つのがよしとされるのは逆行的にも感じられます。もう少し深く、この「ネガティヴ・ケイパビリティ」の意味を教えていただけますか? 谷川先生:「ネガティヴ・ケイパビリティ」は、立ち止まって考える姿勢のこと、モヤモヤを抱えておく力のことです。確かに「ネガティヴ・ケイパビリティ」は、問題解決とは対照的な能力です。ただ、このせわしない現代社会では、むしろ重要になることだと私は考えています。 日常の業務や家事では、即座の反応が求められます。時間内に作業を完了させなければならない。そういうとき、これまで通りの問題解決の手段、パッと思いつくアイデアによって事を済ませますよね。でも、それでいつもうまくいくわけではないから、暮らしというのは厄介なわけですよ。人間関係のトラブルも、仕事の問題も、家庭の問題も、予期せぬことはいつでも起こりうる。そういうとき、新たな考え方や方法で取り組まないといけないかもしれない。 では、どうするべきか。一方では、その場を何とか収めながらも、他方では、「なんか違ったな」という違和感を消さずに心の棚に取っておくんです。そして余裕があるときにモヤモヤを取り出して、「なんで引っかかったんだろう」って後からゆっくりと考えればいい。これが、ネガティヴ・ケイパビリティのひとつの形だと思います。そう聞くと、忙しい現代人にもネガティヴ・ケイパビリティが必要な理由は理解してもらえると思います。引っかかりを無視しない力なんですよね。 言い換えると、ネガティヴ・ケイパビリティは、自分がわかったと実感したときに、「いや、違った見方もできるんじゃないか?」「もしかして理解した気分になっているだけでは?」とツッコミを入れられることなんです。自分の納得を疑い、揺らすことができるかどうか。 つまり、「ネガティヴ・ケイパビリティ」は、「わからないことを安易に解決せず、違和感に向き合い続ける力」のことなんです。 ■「自分自身を単純化しないこと」が、「ネガティヴ・ケイパビリティ」につながる ――「モヤモヤ」は仕事や家事の場面だけでなく、自己や人間関係においても生じます。そんなとき、その悩みが解決できそうなWEB記事を検索したり、自己啓発本を読んだりして「新しい手札」を探すことは、「ネガティヴ・ケイパビリティ」にはならない、ということでしょうか? 谷川先生:自己啓発本は、ネガティヴ・ケイパビリティを奪うほうに加担していると思います。多くの自己啓発本は、「自分は心の奥底で『本当にやりたいこと』を知っている」「揺るぎない自己を持つことが必要だ」などと想定しています。 例えば、「自分の無意識や直感は、自分の意識が把握できない『正解』を知っている」と考える自己啓発本は珍しくありません。体や直感(=無意識)が、「本当の揺るがない自分」や「本当にやりたいこと」を教えてくれるという議論です。 でも、もともとの「無意識」は、「人間は自分自身が把握できる範囲だけで心ができ上がっているわけではありませんね」と示唆するために導入された概念なんです。だから元来の「無意識」概念は、「自分という存在は、ままならないものだし、自分自身ですら把握しきれないものだ」というネガティヴ・ケイパビリティ的な発想を含んでいます。 それにもかかわらず、自己啓発本は、その言葉の意味を捻じ曲げてまで「不変の本当の自分」を想定し、「それが自分にはわかるに違いない、コントロールできるに違いない」と考えているんです。 でも、実際に自己啓発本がやっているのは、自分の中の一側面を「これが自分だ」と断言して、自分のすべてであるかのように装うという単純化です。自分自身を単純化せず、心の中にさまざまな自己を見つめることが、「ネガティヴ・ケイパビリティ」につながるのだと思いますね。 ■これまでにない手札を増やせるのが、「ネガティヴ・ケイパビリティ」の創造性 ――しかし、モヤモヤの解答を即座に出せるなら、それが効率的であり、悩む必要がありません。では、「モヤモヤをそのままにしておく」ことの利点は何でしょうか? 谷川先生:問題解決モードのとき、私たちは自分の手札の中から有効そうなものを選ぶ、という発想になりがちです。私もこの取材の直前に「プロフィールのテキストを早く提出してください」という連絡が来て、考えている時間がなかったので、過去のプロフィールを流用しました(笑)。 このように、日常で使っている素早い問題解決は「すぐに出てくる手頃な判断、考え」でしかありません。この方法で、判断の速度は確保されますが、手札が増えることはありません。似たような手札を切り続けると、かつてあった手札を失うことすらあります。 でも、ネガティヴ・ケイパビリティを発揮する時間、つまり、立ち止まって問題や違和感に向き合う時間を持つことができれば、「そもそもこれって問題なのかな」「実はこっちのほうが問題かもしれない」と課題のコンテクストを再定義(=リフレーミング)したり、あるいは、これまでなかった解決手段(手札)を探したりすることができます。こういう意味で、立ち止まる余裕は大切だと思います。 ――「ネガティヴ・ケイパビリティ」を使えば、手札が増えるということでしょうか? 谷川先生:今までの手札で解決している感じがしないから、モヤモヤするんです。つまり、「モヤモヤしている状態」というのは、文脈を再定義したり、これまでにない手札を探したりしている状態なんですよ。ということは、モヤモヤを考え続けていくと、新しい手札が増えるはず。 これがネガティヴ・ケイパビリティの創造性です。手札や見方を増やす時間は、回りまわって、日常の問題解決や判断のあり方を改善することになると思います。 ■「考えるしかない」時間が、自分を育てるチャンス ――「考え続ける」と言葉にするのは簡単ですが、どうすればネガティヴ・ケイパビリティ的に思考を深めていけるのでしょうか? モヤモヤについて一人で考えているとぐるぐる思考に陥り、不安に支配されることもあります。 谷川先生:モヤモヤに向き合うと疲れますよね。特に人間関係のモヤモヤ、自分の生き方についての違和感に直接触れると、苦しくなることもあるでしょう。心の柔らかいところに触ることになるので。 そういうときは、「考える余白になる“何か”をひとつ噛ませる」方法をおすすめします。やりやすいのは、映画や演劇、コンサートなどの劇場型の娯楽ですね。これは二重の意味でいいんです。暇つぶしにスマホを触ることはできませんし、2倍速にもできません。でも、途中退場はちょっともったいない。劇場型の娯楽は長いので、最初から最後まで全集中するわけにいかないから、観ながら連想的に別のことを少しは考えますよね。だから、何かについて考えることに時間を費やすほかない「脱スマホ時間」が得られる。これがひとつ目のメリットです。 もうひとつは、主題が自分の悩みやモヤモヤに関係しているときに得られるメリットです。例えば是枝裕和監督の映画は、いつも「家族」に焦点が当たります。家族について悩みのある人は、物語の登場人物たちについて色々考えることを通して、結果的に自分の悩みについて考えられるかもしれない。つまり、物語や娯楽が自分とモヤモヤのあいだのクッション材になってくれるんです。あまり深刻にならずに考えたいときには、ちょうどいいやり方だと思います。 ちなみに、難解な本を読むのもおすすめですよ。僕は哲学者なので分厚くて難しい哲学の本を読みますが、実は結構退屈です(笑)。だから、読みながら他のことを考えちゃうんですよ。本の内容と少し関連するモヤモヤについて思考する時間が勝手に生まれます。本のことも当然考えるけれど、ちょっと連想して別のことまで考えてしまう。そういう余白が大事なんですよ。 ――つまらない会議中……とかもありですかね(笑)? 私はそういうとき、なんとなく話を聞きながら、ぼーっと考え事をしてしまいます。 谷川先生:それは良い方法だと思います(笑)。娯楽とは異なり、会議では目の前で何かが展開されています。自分の感覚に耳を傾けるチャンスです。「この人が資料を読み上げると何かイラッとするな」→「高校時代の部活の嫌な先輩を思い出すからかもしれないな」といった具合に(笑)。 ――背景に気づければ「この人は部活の先輩本人じゃないんだから勝手にイラッとするのはよくないな」なんて考えられそう。そうすれば、「その人と交流する」「頼ってみる」なんて手札が増えるかもしれませんね。 谷川先生:そうなんです。結論を急がずじっくりと考えていくことで手札は増えます。そのためには劇場でも会議でもかまいませんが、「もう考えるしかやることないな」という状況を作ることが重要です。考える隙間や余白がある状況に自分を巻き込むのが理想的ですね。 ■ニュースはあえて「見逃し」て、考える余白を作ろう 谷川先生:そういえば、『何もしない』という本を出版しているアメリカのアーティスト、ジョニー・オーディルという方が、「見逃すことが大切だ」と言っていたんですが、これはとてもいい考えだと思いましたね。余白を生み出せるひとつの技です。 ――「見逃す」というワードはマイナスの印象が強いですが、たしかに余白は生み出せそうです。「見逃す」ことはマイナスである、という感覚はどうすれば手放せますか? 谷川先生:そう、私たちは見逃すことを恐れている。だからSNSを追いかけるし検索もする。けれど、実際のところ、多少見逃したところで何も起きませんよね。私は芸能ニュースをまったく追わないのですが、追わなくても誰かが教えてくれるし、教えてくれなくても仕事も私生活も問題ありません。芸能ニュースに限らず、情報なんてだいたいそんなもんですよね。 あと、見逃すことの怖さを克服するやり方で、ちょっと面白い体験をしたことがあります。一時期、ポッドキャストのニュース番組を聴いていたんですが、どんどんたまってしまって、結果半年遅れで聴くことになったんです。半年前のニュースを聴きながら、今を生きていた。そうすると、ニュースを聴くだけで、なんだか懐かしいんですよね。たった半年なのに、誰もそのことを話さないから。 そして「当時自分が追っていたはずの情報」すら完全に気にせずに忘れていることに気づきました。見逃さなくたって忘れてしまうんだから、多少見逃したとしても何の支障もないな、と改めて思いましたね。 この方法のよいところは、情報を得つつもリアルタイムの渦には巻き込まれないことです。少し距離を置いて情報を受け取ることで、考える余白が生まれる。「当時なんでこのニュースを追いかけていたんだろう?」といった、ネガティヴ・ケイパビリティ的な思考のきっかけを作ってくれたりもします。 現代はスマートフォンやSNSが私たちの余白や隙間をつねに狙っています。刺激と情報が反乱する中で、「考えること」だけに取り組むのはとても難しい。 だから、情報の波から離れ、「あえて見逃す」ことを心がけ、余白を作ることが重要です。そうすれば、モヤモヤを取り出して、泥臭く考え続けることができるでしょう。きっと新しい手札が見つかりますよ。 哲学者 谷川嘉浩 1990年生まれ。京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程修了。博士(人間・環境学)。現在は京都市立芸術大学デザイン科で哲学、教育学、文化社会学の専任講師を務める。『ネガティヴ・ケイパビリティで生きる』(さくら舎)、『スマホ時代の哲学』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)等、著書多数。 イラスト/林めぐみ 取材・文/東美希 画像デザイン・企画・構成/木村美紀(yoi)