フィリピン・ミンダナオ島 忘れ去られた内戦と避難民
セブ島、ボラカイ島、パラワン島など美しい島々が連なるフィリピン。成田から首都マニラまでのフライトは5時間足らず。時差も1時間で、日本人にとっては気軽にリゾート気分を味わえる身近な国の一つです。 しかし、そんなフィリピンの南部に位置するミンダナオ島マラウィ市で、2017年5月に政府軍と過激派組織の間で大規模な戦闘が発生し、終息宣言が出されるまでのおよそ5カ月間に1000人以上が死亡し、40万人以上が避難生活を余儀なくされたことは、日本ではあまり知られていません。
フォトジャーナリストの森佑一さんは、戦闘終結前の2017年8月、戒厳令が敷かれるミンダナオ島に飛び、避難を余儀なくされている人々に話を聞きました。さらに1年後の今年8月、その後の状況を確認するためマラウィ市に入ります。その様子をルポしてもらいました。
40年以上内戦が続くミンダナオ島
2017年8月。当時、私はマニラの大学院で平和構築について学んでいた。そんな中、テレビやインターネットのニュースを通じて、ミンダナオ島のマラウィ市で大規模な戦闘が発生し、数多くの犠牲者や避難民が出ていることを知る。 なぜ、急にこの様な内戦に至ったのか。 フィリピンでは、16世紀に入りスペインによる植民地化が始まり、多くの島々が征服され、キリスト教への改宗が進んだ。しかしそれ以前に、すでにフィリピン南部を中心にイスラム教が広がっていたらしい。スペインはその地域にも入植を試みたが激しい抵抗に遭い、ついには征服を断念。それ以降、アメリカに統治されたり、日本軍に占領される時代もあったが、イスラム勢力の抵抗は続いた。 1960年代以降、ミンダナオ島を中心にイスラム地域の分離独立の機運が高まり、反政府イスラム勢力とフィリピン政府との間で戦闘が勃発。40年以上にわたり内戦が続いてきた。その間、内戦を終結させるため、政府と反政府組織の代表による和平交渉も行われてきたが思うように進展せず、反対に、過激思想に傾倒するグループが、反政府組織から派生していった。 マウテ・グループやアブ・サヤフ・グループといった、中東で台頭していたIS(イスラム国)をはじめとする過激派組織に忠誠を誓う組織がマラウィ市を占拠し、政府軍との大規模な戦闘へと突入したのは昨年5月23日のことだ。それに対しドゥテルテ大統領はすぐさまミンダナオ島全体に戒厳令を敷いた。マラウィ市周辺都市において夜間外出禁止令を発令し、街中に過激派組織メンバーの指名手配写真を掲示。幹線道路には何箇所も検問所を設置して通過する車両を逐一チェックするなど、過激派組織の摘発を行った。またマラウィ市に立てこもる過激派組織に対しては包囲網を張り、徹底的な銃撃や爆撃を行うなど掃討作戦を展開していた。 私が最初にミンダナオ島に入ったのはこの最中のことだった。