紫式部が「めぐりあひて」の和歌を詠んだ時に思い浮かべていた相手は誰?
紫式部の生涯や人間関係を知る上で貴重な史料である『紫式部日記』や『紫式部集』。今回は、そこから百人一首にも採られた紫式部の和歌をピックアップし、それにまつわるエピソードをご紹介します。 大河ドラマ『光る君へ』第2回目が放送されました。大人になった紫式部(ドラマでの名前はまひろ)が前回の配信で触れた、曾祖父の歌「人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道にまどひぬるかな」を口ずさみつつ、書き写していました。 画面に少しだけ映った、書き写した元の本は、この歌を選んだ勅撰和歌集『後撰和歌集』(950年代に成立。撰者の一人は清少納言の父親である清原元輔)のようでした。曾祖父が住んでいた家で、曾祖父の歌を口ずさみ書写するというカット。さりげなくも、こまやかな演出で、工夫が凝らされています。和歌監修者の先生のアイデアでしょうか。 史実に寄り添うところと、大胆に史実から離れるところ。そのバランスが面白いですね。ところで、今、曾祖父が暮らしたのと同じ家で生活している人ってどれくらいいるのでしょうか。 ■紫式部が残した和歌のベストセレクション『紫式部集』 さて、今回は『紫式部集』を取り上げます。『紫式部集』は紫式部の生涯に詠んだ歌を集めた家集です(「家集」とは馴染みがないことばかもしれませんが、昔の歌詠みの個人歌集で、勅撰集や私撰集と区別した言い方です)。全部で百三十首あまりの歌が集められています。『紫式部集』は次のように始まっています。 早うより童友だちなりし人に、年ごろ経て行きあひたるが、ほのかにて、十月十日のほど、月に競ひて帰りにければ、 めぐりあひて 見しやそれとも わかぬまに 雲隠れにし 夜半の月かな* ※月かげ、とする写本も多くあります (めぐりあってお会いしたのが確かにあなただと見定めかねているうちに、雲に隠れる夜半の月のようにあなたは帰ってしまいました) この歌はのちに『新古今和歌集』に採られ、『百人一首』にも選ばれたこともあって、広く人口に膾炙(かいしゃ)しています。 ところで『紫式部集』は、ほぼ詠まれた順に歌が配列されていると考えられています。そこから、この歌は、少女時代に詠まれたと見るのが一般的です。「童友だち」とは幼いころからの同性の友人で、その友人と久方ぶりに再会したと思いきや、月と競うかのように、友人は帰っていったというのです。お互い幼いころの面影を宿しながらも、成長した姿に驚きつつ、旧交を温めたことでしょう。そして、久しぶりの再会を喜びあったのも束の間、去っていった友人を「雲隠れにし夜半の月かな」と詩情豊かに詠んでいます。心華やぐ再会でしたが、どこか満たされない思いが急に雲に隠れてしまった月に喩えられているのです。 一方で、この友人との別れの歌が冒頭に置かれることで、家集編纂時の紫式部の心境が投影されているという見方もあります。『紫式部集』は晩年の紫式部がこれまで自分が詠んできた和歌を選定して編纂した、自撰家集とみなすのが定説になっています。家集には、自撰のものと他撰のものがありますが、当然ながら自撰の家集のほうが、和歌の配列などにも詠み手の心境が反映されることでしょう。 そうだとすると、この冒頭の歌は少女時代に詠まれたものでも、そこに晩年の編纂時の心境が投影される、さらに言えば家集全体のテーマが示されているとも考えることができます。そのテーマとは何でしょうか。すでに指摘があるように「会者定離(えしゃじょうり)」でしょう。出会った者は必ず別れる定めにあるという、元々は仏教の教えです。 年輪を重ねた紫式部は、これまで詠んできた和歌を選定する作業の中で、この歌を巻頭に置いて、多くの人との別れを体験してきたことを反芻したのではないでしょうか。いみじくも「雲隠れ」とは、死を暗示することばであり、この歌には直接死の影はないものの、死の連想が働いたとしても不思議でないことばです。ちなみに『源氏物語』は、光源氏の死を描いていませんが、その代わり、標題だけで何も書かれていない「雲隠巻」が伝えられています。巻名が死を暗示していることは言うまでもありません。 『紫式部集』は続けて、次の歌を置いています。 その人、遠き所へ行くなりけり。秋の果つる日来たる暁、虫の声あはれなり。 鳴き弱るまがきの虫もとめがたき秋の別れや悲しかるらむ (鳴き弱るまがきに鳴く虫も去っていく秋をとどめようとして鳴いているのでしょうか。あなたをこの場にとどめようと泣いている私のように) 詞書はまず「その人は遠いところへ行くのだった」と記しています。“その人”とは前の歌と同一人物でしょう。遠い所へ行くというのですから、地方へ下っていくのです。この友人も地方の国司を歴任する受領階層の娘だったと考えられます。これが前の歌と連続する時なのか、それとも後日また会ったのか説が分かれています。私は同じ日の出来事だと考えますが、ここでは深入りはしません。 紫式部は友人に向けて、まがき(竹や柴を粗く組んだ垣)の近くで鳴いている虫に託して秋の別れがいかに悲しいかと詠んでいます。詞書は簡潔ですが、「秋の果つる日」「来たる暁」と韻を踏み、虫の声が「あはれなり」と詠んで、しみじみと趣き深かったと言い、情感あふれる筆致で、和歌が詠まれた状況を表現しています。 一方で和歌のほうは「鳴き弱る」と虫の鳴き声を形容することで、この秋に命を終えようとする虫も止めがたい「秋の別れ」であることを示しています。そのような死にゆく虫の心情を思いやる形で、友人との別れを悲しんでいるのです。ここでも先の「雲隠れ」と同様、死の影が差す表現となっています。この符合も、実際に詠んだ、少女の頃にはあまり意識していなかったかもしれません。 しかし、冒頭にこの二首を連続して置くことで、命の有限性とそれゆえの別れが人の世の必然であることがクローズアップされます。『紫式部集』は単に和歌を羅列しただけではなく、その配列からストーリーが読み取れるよう工夫されています。 生涯の歌を整理し、自らの人生を回想した際に、多くの人と死別も含む別れを繰り返してきたという実感が晩年の紫式部の胸に走馬灯のように去来したのではないでしょうか。『紫式部集』は喩えていえば、紫式部による自己の和歌のベストセレクションであるとともに、和歌を軸にした回顧録という面もあるのです。当然そこには、文学的な脚色が加えられているのでしょう。 もちろん、あくまでも少女時代の歌と解して、死のイメージを重ねなくても良いでしょうし(きっとこちらの解釈のほうが好きだという方もいらっしゃると思います)、ここで触れたように晩年の重い思いを重ねて読んでも良いでしょう。和歌単独で読むか、家集の中において読むか、これも古典を読み解く面白さの一つではないでしょうか。 参考文献 福家俊幸『紫式部 女房たちの宮廷生活』(平凡社新書)
福家俊幸