【壮絶な戦争体験】穴を掘って夜中に逃げた 脱落者には「後で迎えに行くと言い…」 引き揚げ体験者「陸地見え涙」
79年前の敗戦後、朝鮮半島北部から北緯38度線を越えて京都に引き揚げてきた、今西儀夫さん(87)=京都府南丹市園部町=が4日、同町の丹波新生教会園部会堂で講演した。「天皇陛下のために死ねる立派な兵隊になる」ことをたたき込まれた学校生活や、収容所からの命からがらの脱出を回想。耳を傾けた約15人に、「何百万人もの命を『奪った』戦争を、絶対に忘れてはいけない」と力を込めた。 【写真】「インパール作戦」で戦病死した大叔父は?手がかり探し14年 今西さんは日本の植民地だった北朝鮮・黄州で生まれ、国民学校(現在の小学校)3年生まで暮らしていた。 ピアノの和音を当てる授業があり、間違えると先生に「そんなことでグラマン(米軍の戦闘機)の音が分かるか」と怒られたという。体育では、手りゅう弾に見立てたバトンを寝た姿勢で投げる授業もあったと説明。学芸会や運動会も戦争に絡めた演目で、「学校も軍国主義一色だった」と振り返った。 1945年8月、ソ連軍の侵攻で光景が一変。今西さんたち日本人は、古い社宅に収容された。10月17日未明、大人たちが鉄条網の下に掘った穴から、一家で脱出した。 韓国に向けて、昼は山に身を潜め、夜に徒歩で移動。けがや病気で脱落する人もいた。「できるはずがないのに『後で迎えに行く』と言って、置いていった」。引き揚げ船で山口県に着く目前、「陸地が見えたら、みんな『あれが内地だよ』と泣いていた。生きて帰れただけ本当にありがたい」と話した。 終戦からまもなく79年となる。今西さんは、体験者が減り「また同じ道を通ってしまうのではないかと心配している」と憂慮した。 (まいどなニュース/京都新聞)
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