役所広司と内野聖陽の演技合戦がスゴい…映画『八犬伝』評価&考察レビュー。観客の気持ちを代弁する葛飾北斎のセリフとは?
江戸時代の名作『南総里見八犬伝』を現代的に再解釈した映画『八犬伝』が話題を呼んでいる。葛飾北斎や鶴屋南北との対話を通じて滝沢馬琴の葛藤をあぶり出す、虚実が巧みに織り交ぜられた力作である。今回は、本作の見どころに迫るレビューをお届けする。(文・ばやし)【あらすじ キャスト 解説 考察 評価 レビュー】 【写真】役所広司VS内野聖陽がアツい…貴重な未公開カットはこちら。映画『八犬伝』劇中カット一覧
原作は山田風太郎の手によって再解釈された『南総里見八犬伝』
『南総里見八犬伝』と聞けば、誰もが歴史の教科書で一度は目にしたことがあるのではないだろうか。 江戸時代の戯作家・滝沢馬琴が描く壮大なストーリーは、日本のファンタジー作品の原点とも言われており、後世にいたるまでその影響を感じさせる作品も多い。実際に、1983年には『里見八犬伝』として実写映像化もされており、千葉真一や真田広之など、当時の大スターたちが里見家に仕える八犬士を演じている。 しかし、あらためて注目すべき点は、今回、実写映像化された『八犬伝』が 8つの珠を持つ剣士たちの力で敵を討ちとるファンタジー巨篇と、作者である滝沢馬琴が 28年の歳を通して作品を書き上げるまでの軌跡が両軸で描かれているところだ。 なぜ、このような突飛な構成がなされているかといえば、山田風太郎が1983年に描いた小説『八犬伝』を原作としているからに他ならない。本作では、山田風太郎の手によって再解釈された『南総里見八犬伝』のストーリーが描かれる「虚の世界」と、実際に馬琴が作品を書き上げるために苦悩する「実の世界」が、上下巻にわたって描かれている。 小説では、架空の物語である『南総里見八犬伝』を入れ子構造のようにはめ込むことで、馬琴が全106冊にも及ぶ長編を書き上げるにいたった心境を、歳月の経過とともに描写することに成功していたのだ。
劇中で葛飾北斎が果たす重要な役割
映画でもっとも印象的に映し出されるのが、江戸時代の浮世絵師・葛飾北斎と馬琴が『八犬伝』について言葉を交わすシーン。役所広司が演じる馬琴と、内野聖陽が演じる北斎の会話は狭い一間で交わされる。そこから浮かび上がるのは、彼らの気の置けない関係性だった。 ふたりの性格は全くもって異なる。竹を割ったような性格であっけらかんと話す北斎に対して、馬琴は自らも自覚するほどの偏屈さで、紹介状がなければ突然の来客には応じない。 そして、『八犬伝』を書き上げるには北斎の挿絵が必要だと必死で頼み込むのだが、北斎はそんな馬琴の目の前であっさりと絵を描き上げては、見せるだけ見せて自ら描いた絵を破り捨てる。 作品を仕上げる過程から子育ての仕方まで、一見、正反対に映るふたり。しかし、北斎が机のない場所で絵を安定して描けるように、自らの背中を机代わりに差しだす馬琴の姿からは、北斎への揺るがない信頼がみてとれる。 加えて、虚のパートである『八犬伝』の一幕がスクリーン上で繰り広げられたあとは、必ずと言っていいほど北斎の読者目線のコメントが入る。 映画館で観ている人の気持ちすらも代弁してくれる北斎の率直な言葉には、誰もが共感の念を抱かざるを得ないだろう。