【第172回直木賞候補作『虚の伽藍』】サラ金の地上げ、暴力団の銃撃事件、政財界の顔役…京都の裏社会とともに肥え太った日本最大の仏教宗派を描いた社会派巨編の読みどころ(レビュー)
『土漠の花』『欺す衆生』『半暮刻』など、数々の話題作を発表してきた月村了衛さんが、バブル期の京都でくり広げられた地上げ戦争を描いた新作長編『虚の伽藍』(新潮社)が、第172回直木賞候補作に選ばれた。 【写真】直木賞候補作に選ばれた『虚の伽藍』の作者・月村了衛さん 暴力団、フィクサー、財界重鎮に市役所職員……古都の金脈に群がる魑魅魍魎どもの壮絶な利権争いを活写し、欲望に翻弄される人間たちを浮き彫りにした本作の読みどころとは? ノンフィクション作家の森功さんによる書評を紹介する。
森功・評「裏社会とともに肥え太った日本最大の仏教宗派」
長かったような、短かったような自民党総裁選挙が終わった。最後は軍事、鉄道オタク対ゴリゴリの保守タカ派の決戦となり、わずか二一票の差で石破茂が高市早苗を破ったのは周知の通りである。今回ばかりは日頃、したり顔で選挙の解説をする専門家たちもなかなか予想がつかない接戦だった。もっとも終わってみれば、壮大な身内のポジション争い以外の何物でもなかったと感じる。 菅義偉が後ろで操った小泉進次郎は総裁レースの序盤こそいちばん人気だったが失速、最終盤では菅を嫌う麻生太郎が高市早苗を推した。その権力争いの間隙を縫って石破茂が新たな日本の宰相に就いたにすぎない。つまるところ自民党総裁選は、今も昔も古狸たちによるキングメーカー争いにより勝ち負けが決まってきた。 中曽根康弘を首相に就けたキングメーカーは田中角栄だったが、中曽根は闇将軍の失墜を見て英米追従路線を歩むようになる。1985年9月22日、当時の先進五か国の財務大臣らがニューヨークのプラザホテルに集まり、日本の対米貿易黒字の削減に合意した。この通称プラザ合意により、日本政府は円高対策に追われ、金融緩和に舵を切る。おかげで日本国中にあぶく銭が溢れ、狂乱景気が訪れた。 本書『虚の伽藍』は泡沫景気が膨らみだしたこの頃のエピソードから始まる。主人公は日本最大の伝統仏教宗派である京都の包括宗教法人「錦応山燈念寺派」の志方凌玄という若い僧侶だ。不動産と株の値段が急騰した1980年代後半から1990年初頭にかけ、金融や不動産業者が大儲けしたのは言うまでもない。半面、その巨大な利益は暴力団にも過去にない富をもたらした。わけても広域指定暴力団と呼ばれた全国規模の組織は、斯界でいうところのシノギの軸足を従来の博打のてら銭や飲食店のみかじめ料から不動産開発に移し、政官財界と一体化して肥え太った。暴力団同士の血で血を洗う熾烈な抗争が繰り広げられる一方、企業経営者たちもまた進んで彼らの経済活動に力を貸し、身を投じていった。 著者の月村了衛はそんな表社会と裏社会が交わる魑魅魍魎の跋扈する世界を描こうとしたのであろう。主人公の凌玄が籍を置いた燈念寺派は、京都の駅前開発に加わって一儲けしようと計画した。凌玄はその地上げを巡る対立の現場で悪戦苦闘しながら、僧侶として出世の道を切り開いていく。 本書で地上げの舞台となっている京都駅前の一等地には、実際に長らく未開発となってきた曰くつきの地域があった。私自身、この地域を取材してきた経験があるので、舞台やストーリー、登場人物が重なって見える。本書の京都駅前再開発プロジェクトでは、サラ金「更級金融」が関東の暴力団「東陣会」を引き入れて地上げに血道をあげる。燈念寺派の凌玄はその東陣会に対抗すべく、京都の「扇羽組」や神戸の「山花組」とタッグを組んだ。扇羽組の切れ者ヤクザ、氷室を参謀にして巧妙に立ちまわる。 もとより小説なので実際の事件とは異なるが、思い当たるフシが少なからずある。現実には、当時、サラ金最大手の「武富士」が京都駅近くの再開発に乗り出し、虫食い状態だった開発用地を地上げしていった。その地上げ現場で反武富士にまわった山口組も絡んで一大騒動になる。山口組系の組員が地上げを巡って対立していた被差別部落運動団体の幹部宅に侵入し、関係者たちを銃撃する事件まで起きた。幹部宅の玄関先に設置された防犯カメラが、山口組系組員たちの襲撃をとらえ、私もその生々しい録画ビデオを入手して愕然とした。そんな記憶が蘇る。 伝統仏教の栄えてきた古都京都では、名刹の住職が敬われ、政官財界の大物たちと通じて大きな権力を握っている。特殊な地域だ。本書で凌玄たちは、サラ金スキャンダルをマスコミにリークし、さらに政財界の顔役を頼んで東陣会を追い払う。 そして泡沫景気が吹き飛び、日本は世に言う「失われた三十年」を迎える。すると、長いあいだもたれ合ってきた表と裏の社会が袂を分かち、さまざまな事件や不祥事が漏れ出した。暴力団対策法の施行により、暴力団組織が壊滅的な打撃を受け、山口組は内部抗争が勃発して分裂する。本書はそのあたりまで踏み込む。 時代が大きく動くなか、錦応山燈念寺派もまた内部分裂を繰り返した。やがて凌玄はバブル期から苦楽をともにし、いっしょに出世の階段をのぼってきた親友大豊海照と敵対する。本書のクライマックスは、その海照と争った日本最大の伝統仏教宗派のトップを決める総貫首選挙だ。両陣営の思惑が錯綜する微妙な票読み。それはまるで自民党総裁選を彷彿とさせる。 [レビュアー]森功(ノンフィクション作家) 1961(昭和36)年、福岡県生まれ。ノンフィクション作家。岡山大卒。「週刊新潮」編集部などを経て独立。2008年、2009年に「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」を連続受賞。2018年に『悪だくみ「加計学園」の悲願を叶えた総理の欺瞞』で大宅壮一メモリアル日本ノンフィクション大賞を受賞。その他著書に『黒い看護婦』『ヤメ検』『同和と銀行』『大阪府警暴力団担当刑事』『総理の影』『地面師 他人の土地を売り飛ばす闇の詐欺集団』など多数。 協力:新潮社 新潮社 波 Book Bang編集部 新潮社
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