【特集】“総理をねらう男”河村たかし「激動の1年」 2025年は「名古屋の夢を叶えていくだがね。楽しみに待っとってちょー」
“総理を狙う男”河村たかし氏。彼にとって2024年は激動の1年となりました。愛知県の大村知事との対立、突然の国政復帰表明、後継候補を立てての名古屋市長選など…。河村氏の2024年を振り返ります。
■2024年も繰り広げられた大村知事との“バトル”
2024年9月、歌手デビューを果たした河村氏。そのデビュー曲のタイトルは『何をやってもしかられる』。自らが作詞した歌詞には、市長報酬の減額など、市長として行ってきた政策がなかなか認めてもらえず、いつも“しかられる”と嘆き節がつづられています。また「減額を決めたら妻に風呂の栓を抜かれた」という裏話も歌詞となっています。9月14日に名古屋市中区・大須で行われたイベントでは、ダンサーを引き連れ、白いスーツを身にまとった河村氏。会場には多くの人が集まり、盛り上がりを見せました。 しかし、イベントから4日後、あの人から“しかられる”ことになりました。愛知県の大村知事です。9月18日の大村知事の定例記者会見。会見が終わろうとしたとき、大村知事自ら河村氏の歌手デビューについて発言しました。「ネットで一報を見たときに、はっきり言ってあきれました。市民県民の福祉向上のために、全力を尽くすというのが、本来(市長の)あるべき姿。自虐ネタ、愚痴をこぼすということは、私はやるべきでないと思う」こう述べた上で、痛烈に批判しました。「歌詞が何をやっても叱られる、何をやっても叩かれる、そんなに嫌ならお辞めになってはいかがですか?」 この大村知事の発言に対して河村氏は「勝手に自分の気持ちを言うのはいいが、根本的に間違っている」とした上で「この曲は何があってもくじけないで歩いて行こうという人生を応援するもので、政治活動ではなく市民のためになると思って歌っている」と歌手デビューは市民のためであると反論しました。
■突然の衆院選出馬表明 市議会との“ラストバトル”
10月1日、一部報道で河村氏が衆院選に出馬する意向を固めたと報じられました。この報道を受け、河村氏の事務所には朝から多くの記者が。そして、事務所から出てきた河村氏はこう語りました。「名古屋の皆さんのおかげで長いこと市長やらせていただいて、ありがとうございました。(今度は)日本の皆さんにご奉公しようと。“総理を狙う男アゲイン”という感じです」それまでは国政復帰を目指す意向があるか問われると、いつも「南無阿弥陀仏」と答え、明言を避け続けてきました。この時、初めて衆院選への出馬を公の場で表明しました。4期15年にわたって市長を務める中、任期を半年以上残し国政への復帰を目指すことを決めた河村氏。 ただ、任期途中での辞職をするためには、長年対立関係にある市議会の同意が必要となります。 10月7日に開かれた市議会各会派の代表との会議において、10月11日付で辞職したいという旨を伝えました。これに対して、市議からは「市議会の会期中に辞職するのは無責任だ」と批判が噴出。河村氏は前言撤回し今度は「衆院選への立候補をもって自動失職する」と発言。あっさりと意見を変えた河村氏に、市議はさらに反発。最終的に河村氏は9日に辞職願を議長に提出し、14日付での辞職を目指す方針を固めました。 9日に議長に辞表を提出し、迎えた11日の市議会本会議。河村氏の辞職を認めるか審議が行われました。「任期を残したまま『やりきった』と急いで退職しようとする河村市長のふるまいは職責放棄以外意外の何物でもありません」「自らが引き起こした数々の問題を終息させる事なく、市政を投げ出すような議案に同意することは到底できません」などと、市議による痛烈な批判答弁が繰り広げられました。そして採択の結果、河村氏の辞職を議会は認めませんでした。 結果として衆院選への立候補をもって自動失職となった河村氏。名古屋市役所を去る際には職員から拍手で見送られながら、いつも通り軽自動車の公用車に乗り込み自宅へと帰っていきました。15年続いた河村市政に幕が下ろされた瞬間でした。