「札束を数えてるフリしよう」メガバンクの新人研修でズルい方法を考えた行員の「驚きの30年後」
「縦勘定」は札束を縦にして、右利きの人は左手の中指と薬指の間に札束を挟む。札束の下から指を縦に入れるところがポイントだ。次に、右手親指で1枚ずつ前に繰り出し、紙幣の向きや折れ曲がり具合を確認しながら枚数を数える。最後の1枚を、パチンと音をたてるのが習わしになっている。 「横勘定」は左手に紙幣を持ち、パーッと扇子のように横に開き、5枚ずつ右手で数える方法で、上手な人の手さばきは見事で美しい。なんとも銀行員らしい所作である。ただ、こちらは開くだけなので、金種の区別や向きは確認できず、あくまで枚数を数える方法になっている。 ● 難しすぎる「横勘定」に 苦戦する新入行員たち テストではこの「縦勘定」と「横勘定」を両方行い、帯封で留めなければならない。10分で5束というのは、時間があるようでないものだ。インストラクターの指導は全く具体的ではなかった。 「いいか、よく見てろ。ほら」 「横勘定」で、札束を自慢げに開いてみせる。しかし、どうやるのか具体的なレクチャーはない。「何回も何回もやると、そのうち開く」というのが彼の説明だった。 念ずれば開く…。もはや超能力か? 私の相部屋にいるほぼ全員が「横勘定」できずに苦しんでいた。11日間、夜通しの共同作業で課題を仕上げながら、同時に模擬紙幣を握りしめて練習する姿は、異様に感じた。数日後、早いか遅いかは別として「縦勘定」はなんとかなった。形だけは再現できるようになった。いかに「縦勘定」を早く済ませて「横勘定」のための時間を捻出するか。これが10分で5束作るためのポイントだった。 「なんか俺、わかってきたぜ」 東工大の物理学専攻で、なぜ都市銀行を志望したのかよくわからない亀田君が切り出した。
「インストラクターの左手首の回転をじっくり見ていたんだけど、あの回転の遠心力でお札が扇形に開かれるわけよ。そこで札束を反らせることによって、円運動する物体が比例して受ける慣性を利用してだな…」 「か、亀田君?ダメだ、言ってることがよくわからないよ。いいこと思いついた!『縦勘定』は捨てようと思うんだ。数えてるフリだけするのさ」 海野君が提案する。 そこに、卓球でインカレに出場した経験を持つ佐竹君が、横やりを入れてきた。 「違う違う!そうじゃないな。なんていうか、シェイクのラケットでドライブを効かせる時のスナップによく似ていて…」 いよいよ、何を例えているのかすらわからなくなった。私の相部屋メンバーは個性派揃いだったが、最終日の札勘定テストに合格できたのは、わずか一人。「縦勘定」をごまかそうと言い出した海野君だった。 ● 「数えてるフリ」を 提案した海野君のその後 海野君はその後トントン拍子で昇格し、かなり早い段階で支店長になる。大きな支店を3店舗歴任し、今では銀行の関連会社で役員をしている。物理学専攻の亀田君は、山一証券や北海道拓殖銀行(拓銀)が破綻した時に、M銀行が破綻する確率を自分なりに計算した末、転職を選んだそうだ。卓球部の佐竹君は消息がわからない。いつの間にか社員名簿から消えていた。 結局、要領のいい奴ほど成功するのが銀行であり、ややこしく考えたり、自分しかわからない説明しかできない者には、馴染まない組織風土だったのかも知れない。私のようなさえない凡人は、結局鳴かず飛ばずの立ち位置にしかいられないのだろう。 研修を修了し、最初の配属店である吹田支店に赴くと、店内OJTで世話になる預金課の小川課長から、開口一番こう言われた。 「目黒君、札勘定のテスト、落ちただろ?」 どうやら、教育研修室から既に合否の情報が届いていたようだ。 「ナメてんだろ…」 課長がすごみを効かせ、吐き捨てるように追い打ちをかけた。 「い、いいえ、あの…練習したんですが、不合格になってしまい、決してですね…」 「もういい。ちょっと待ってろ」 課長は、回金係へ内線電話をかけた。 「佐渡さん?今から会議室に千円札を5束、50万円分持って来てくれないか?あと、帯封もな」