【黒柳徹子インタビュー】ニューヨーク留学で師事した先生から「教わったこと」とは?
黒柳徹子さんがニューヨーク留学で師事した、メリー・ターサイ先生について語ります。 〈画像で見る〉ニューヨークでメリー・ターサイ先生から教わる黒柳徹子さん
私が出会った美しい人【第31回】演技指導者 メリー・ターサイさん
1989年から、女優として年に一度は翻訳劇の舞台に立つことにしています。先月の21日にも、2020年から続いている朗読劇『ハロルドとモード』が大阪で大千穐楽を迎えました。私と、ピアノ演奏を担当してくださる荻野清子さん以外、5人のキャストが毎年入れ替わるのですが、毎回、俳優さんたちの個性と出合うたびに、私の中にも新しいモードが現れる感覚があります。それに、初日と千穐楽で感情が全然変わってくることもありますし、東京と大阪のお客様の反応の違いで、思いもかけない芝居が生まれることもある。今は、「ライフワークは舞台です」と堂々と言える私も、30代の頃はずっと自分の職業を「女優」と名乗ることにどこか引け目を感じていました。でも、そんな私が自信のなさを払拭できたのは、ニューヨーク留学で、プロの俳優に芝居を教えることを目的とした演劇スタジオの主宰者、メリー・ターサイ先生に師事したことがきっかけでした。 NHKを辞めてフリーになって、帝国劇場で『スカーレット』というミュージカルに出演していたときのこと。演出を手がけていたジョー・レイトンさんの奥様と親しくなって、元女優のその奥様が「ぜひニューヨークに留学しなさい。私の先生を紹介するわ!」とおっしゃったのです。細かい経緯は割愛しますが、その後私は無事にニューヨークに渡り、メリー先生のもとで芝居を学びました。先生が東洋人を教えたのは私が初めてだったそうです。 第一印象は、「わぁ、真っ黒!」(笑)。黒縁の眼鏡に白髪交じりの黒髪、洋服もストッキングも靴もすべて黒で、そのうえ、細い銀の首飾りと腕輪を数え切れないほどつけていて、先生が動くとシャラシャラと静かな音がします。そして、一本のタバコを吸い終わらないうちに、次のタバコに火をつけるほどのヘビースモーカーでした。 「俳優というのは、気の遠くなるほどの想像力を持っていなくてはならない。一つの役について、どれだけの想像力を働かせることができるかで、いい俳優かどうかは決まるのです」 私がメリー先生から教わったのは、一言でいえば「想像力の強化」です。でも、目一杯の想像力を駆使していても、それが役から離れると、「勝手に脚本を作らないで」と注意されます。「じゃ、どうしたらいいんですか?」と聞くと、その疑問にすぐ答えてくださって、今の自分に何が足りないか、何が必要かを一瞬で見極めてくれることが驚きでした。人生に起こる様々なことを山のように知っているからこそ、深い洞察力があったのでしょう。
演技指導者
メリー・ターサイ(MARY TARCAI)さん 1906年生まれ。カーネギーホールの裏手にあった「メリー・ターサイ演劇スタジオ」の主宰者。ニューヨークの名門演劇スタジオで、ロシアで生まれた演技理論であるスタニスラフスキー・システムを学び、その厳格な継承者となる。アトランティックシティで劇場を共同経営(この頃に演出家としてもデビュー)、L.A.の演劇ラボ勤務、映画監督のアシスタントなどを経て、1955年からニューヨークでプロの俳優向けの演技指導に従事。1979年没。※写真左端。1972年、本人の演劇スタジオで Edited by 新井 美穂子
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