テレンス・ブランチャードが語るウェイン・ショーターへの敬意、見過ごされてきた「黒人とオペラ」の歴史
見過ごされてきた「黒人とオペラ」の歴史
ーあなたが手掛けたオペラの中にはジャズのピアノトリオが入っていたり、霊歌やゴスペルの要素もあったり。そこも古典的なオペラとは異なる部分かと思います。 テレンス:ストラヴィンスキーと同じように、全てを同列に扱っただけさ。ストラヴィンスキーの音楽からはハンガリーのフォークロアが聴こえるだろ? それは僕の作曲の先生であるロジャー・ディッカーソンが教えてくれたことでもある。「クラシック音楽に決まった型は何もない。クラシック音楽はフォークロアへのより深い探究だ」といつも言われていたよ。僕がオペラでやりたいのはそれだ。僕のジャズのバックグラウンド、チャーチでの経験……それらを持ち込み、時にはジャズトリオが主導し、時にはトリオがオーケストラに影響され、時には一緒に、時にはオーケストラが独自に展開する。だから最初、僕は「Jazz Opera」ではなく「Opera in Jazz」と呼んでいた。つまりジャズの影響はあるが、決して「カウント・ベイシー・バンドがオペラ歌手のバックで演奏しているような音楽」とは違う、という意味でね。 ー『Fire Shut Up in My Bones』をMETで上演した際のインタビューで、黒人の作曲家ウィリアム・グラント・スティル(アメリカの主要なオーケストラを指揮し、自作のオペラが上演された最初の黒人作曲家)の話をしていました。そういった先人の黒人作曲家たちもあなたのインスピレーションになったのでしょうか? テレンス:ああ。彼もそうだし、もう一人あまり知られていないが、ハワード・スワンソンの存在も大きい。彼は僕の先生であるロジャー・ディッカーソンの先生なんだ。偉大な黒人コンポーザー、ヘイル・スミスも彼の一派。僕はロジャーとヘイルの両方に師事したんだ。ハワードはすでに亡くなっていたので会ったことはないけど、ロジャーが常にハワードの話をしていたので、僕はハワードという大きな木の枝の一つだと感じている。 ーウィリアム・グラントからの影響についてはいかがですか? テレンス:彼から学んだことはなかったが、不思議な縁がある。METでの初演前の話だ。セントルイスの野外会場で観たオペラの一つが現代的に聴こえて、「これはなんだ?」と思ったら、1930年代の作品だと言うじゃないか。それがウィリアム・グラントの『Highway One』だった。ところがこの作品は、METから3度も上演が拒まれたという。驚いたよ。だって、今の時代に上演されたとしても十分に通用すると思いながら観ていたから。 ー「黒人のオペラ」ということで上演されなかったと。 テレンス:でも、僕が書いたオーケストラの音楽も、すべてではないが、オーケストラによっては演奏に苦労させられる部分があった。だから「もし1930年代にウィリアム・グラント・スティルの音楽を採り入れていたら、彼の音楽が僕たちのイディオムや言語の一部になっていただろうに」とずっと思っていたよ。アーロン・コープランドが採り入れられたようにね。アーロン・コープランドを誰もが演奏できるのは、彼の音楽が子供の頃から学んできた言語の一部になっているからだよ。そうだろ? ーウィリアム・グランスト・スティルが実践していたような、黒人由来の音楽要素とクラシック音楽が共存するような音楽が1930年代の時点で定着していたら、その後の音楽のあり方も変わっていたはずだと。 テレンス:あのセントルイスでの体験があったから僕の思いは強くなったんだ。絶対に『Fire Shut Up in My Bones』『チャンピオン』をMETで成功させると。ウィリアム・グラントが手に入れようとしても得られなかった機会を与えられた以上、何があってもその重みを軽く受け止めたりしないと。 それをシンガーたちに伝えることが重要だと思った。だから『Fire Shut Up in My Bones』の初日、僕は全キャストと話をした。どうかオペラや文化に関する君たちの思いのありのままを曝け出してほしいと。「君たちの多くはチャーチに通って育っただろうし、R&Bを歌ってきた者も、ジャズを歌った者もいるだろう。でもプッチーニの『ラ・ボエーム』を歌う時にはその部分は「そぐわないから消せ」と言われてきたはずだ。でもこれは”今”のオペラだ。オペラはスタイルじゃない。オペラは“マイクで増幅されない声”なんだ。だから、君たちが抱えているものすべてを活かして、キャラクターにこのストーリーを語らせてくれ」と言ったんだ。 そして、全員がその意図を理解してくれた。エンジェル・ブルーが歌う「Perculiar Grace」は……彼女はチャーチで育ったこともあり、オペラのスタイルに即興でフレーズを加えながら歌うんだ。本当にパワフルで美しいんだよ。 ー僕もアメリカの音楽を多少調べてきたつもりでしたが、ウィリアム・グラント・スティルという名前は、あなたのMET関連の発言で初めて知りました。あなたのオペラがなければ知る機会はなかったでしょう。アメリカの音楽教育の場で彼らのことは教えられるものなんですか? テレンス:いや、僕が知る限りそれはない。実は僕ですら知らなかった。 ーえ? テレンス:もちろん一握りの人たちは知っていただろう。今、アフリカン・アメリカンがオペラに与えた影響を研究としてまとめるべく、友人が作曲家たちの調査をしているところだが、これまで一度も聞いたことのない名前がたくさん出てくる。僕は完成が待ち遠しくてたまらないんだ。 そういえば、あるジャーナリストから質問されて、本当に頭に来たことがあった。「あなたのオペラは、黒人がオペラを歌うきっかけになると思いますか?」って言うんだよ。「君たちが取り上げないから知らないだけで、何世代にもわたって、people of colorはオペラを歌ってきたんだ!」と僕は言ってやった。METで歌った初の有色人種の歌手はマリアン・アンダーソン(1955年、ヴェルディ『仮面舞踏会』のウルリカ役)だとされているが、実はその前にもう一人いたんだ。METのイベントとしてではなく、劇場を借り切っての上演があったらしい。これもまた、有色人種の人たちが何世代にもわたってオペラの歴史の一部であったにも関わらず、その功績が認められなかったことの一例なんだよ。 ーそういった経緯を考えると、あなたが今回METでやったことの意義は信じられないほど大きいものですよね。 ありがとう。そう言ってもらえて嬉しいよ。友人だったウィリアム・ギャディスがつい先日亡くなった。彼は全米のいろんな会場でオペラを手掛けてきたが、彼に会うたび、同じようなことを言ってもらえたんだ。ありがたいと同時に、それが僕のモチベーションにもなった。僕がやれたのだから、(タートル・アイランドの)デヴィッド・バラクリシュナンを含め、多くの素晴らしい才能ある人たちにチャンスが回ってくると思えるからさ。 今、オペラの世界では一つのシフトチェンジが起きている気がするんだ。いろんなものが生まれ、受け入れられ始めている。『Fire Shut Up in My Bones』と『チャンピオン』がMETで上演されたという事実だけをとってもね。『Fire Shut Up in My Bones』にはステップショー(ステッピング)を採り入れたシーンがあるんだけど、あそこでは毎晩スタンディング・オベーションがおきていた。僕はただリズムを書いただけで、あとはカミーユがそれをステップショーにしたんだけどね。 --- テレンス・ブランチャード featuring E-コレクティブ with タートル・アイランド・カルテット来日公演 2024年9月2日(月)・3日(火)丸の内コットンクラブ 2024年9月4日(水)ブルーノート東京 [1st]Open5:00pm Start6:00pm [2nd]Open7:45pm Start8:30pm
Mitsutaka Nagira