テレンス・ブランチャードが語るウェイン・ショーターへの敬意、見過ごされてきた「黒人とオペラ」の歴史
オペラで訴えかける「今のストーリー」
ー次はオペラ『チャンピオン』について聞かせてください。ボクサーのエミール・グリフィスの生涯を描いた物語で、ここには人種差別、LGBTQ、人を殺めてしまったことへの贖罪など、様々な文脈が含まれています。最初に彼の生涯について知ったときにどんなことを思ったのか聞かせてください。 テレンス:エミールに関して最も僕が惹かれたのは、試合中、対戦相手のベニー・パレットを殺してしまったことだ。その対戦相手は彼の友人でもあった。その試練と苦難を乗り越えた晩年、エミールの言葉「俺が男を殺しても世界は許してくれたが、俺が男を愛すると世界は俺を殺したがった」……。あれはものすごくパワフルな主張だった。人をオープンに愛せない苦しみ。 ーエミールのセクシャリティに関する部分の発言ですね。 テレンス:初めて僕がグラミーを受賞した時(2004年)、僕は妻を抱き、キスをして、ステージに上がって賞をもらった。でもエミールは複数階級で王者になったが、その喜びを誰かと分かち合うことができなかった。そこがとても悲しい。それにエミールは心優しい穏やかな男だった。彼のドキュメンタリー『Ring Of Fire』を見ればわかるが、対戦相手のベニー・ペレットをコーナーで殺してしまって以降は、決して対戦相手をコーナーに追い詰めていない。つまり攻撃的な性格なのではなく、ボクシングへの生来の才能があっただけで、性格は優しくて思いやりがある男だったんだ。 ー複雑な事情を持つ彼の生涯を『チャンピオン』というオペラとして表現することに際して、作曲家としてどんなことを考えたんでしょうか? テレンス:僕が意識したのは「エミールの誠意」だ。すべての混乱の中、唯一変わらなかったのは、彼が愛を求めていたということ。パートナーへの愛だけでなく、母や家族といったすべてへの愛。彼を取り巻いていたのは混沌としたカオスだった。一瞬はその中に溺れたこともあった。人間なら誰もがそうであるように、成功したことで派手に着飾ったりもした。踊るのも大好きだった。でも彼の人間としての内面には、相手を思いやる優しさがあった。そういったこと全部を見せようと構成したんだ。 ー全てですか。 テレンス:認知症に苦しむ老いたエミール、ボクサーのエミール、そして若き日のエミール。オペラは全編が年老いてからのエミールのフラッシュバックなんだ。だから彼は常にステージにいて、歌っていない時も、歩き回ったり、何かを見たりしている。人生が走馬灯のように蘇るんだ。公園ではベニー・ペレットの息子に会う。ベニーの息子が「あなたに何の悪意も抱いていません」と言うそのシーンが、僕にとっては最大のハイライトだ。実際にそのシーンはドキュメンタリーでも捉えられていて、言われた瞬間、エミールは泣き崩れている。生涯抱えていた重荷がその瞬間に降りたのだろうとわかる、実に感動的なシーンだよ。 つまりは僕らがこのオペラで描きたかったのは、贖いの物語。そして贖罪の過程で最も重要なのは自分自身を許すことを学ぶことなんだ。人は他人からの許しを常に求めるが、自分が自分を許すことも学ばなければならない。(対戦相手を殺してしまったとはいえ)エミールはボクサーとして仕事をしていただけなのだから。 ー『チャンピオン』は去年2023年にNYのMETで再上演されました。セントルイスで最初に上演されてからの10年は、人種問題、ジェンダーやセクシャリティ、多様性などについて、それ以前よりも活発に議論が交わされてきた時期だと思います。10年前の初演時と比べ、反響に違いはあったと感じますか? テレンス:そうだね。深まったと思う。セントルイスの初演時には多くの人から感謝を述べられた。『Fire Shut Up in My Bones』を(2021年に)METで公演した後のロビーでは、自分も性的虐待のサバイバーだという男性から感謝の言葉をもらったんだ。『チャンピオン』でも同様だったよ。それに親が認知症だという人たちから大いに共感されたんだ。その中には当時、エミールの試合を観た人たちもいた。アメリカでは金曜の夜の生放送でTV放映されていたからね。 そして重要だったのは、認知症の問題、性的指向の問題……と多くの人が様々なレベルで共感できるストーリーだったという点だ。その中でも無視できない大きな点はMETのステージでブラックカルチャーが上演されるのを観るという事実に、多くの人が共感したことだ。それは体験として非常にパワフルなものだった。 ーアフリカ系アメリカ人であるあなたが作曲したという事実だけでなく、ストーリーや演出にブラックカルチャーが反映されていた点も大きかったと。 テレンス:METでオペラを観るのは初めてという人も多かった。その中にはシーズン中にチケットを買って、別のオペラを観たという人もいた。それも誇りに思っているよ。なぜならそれで、オペラというジャンルへの興味、METへの関心が引き起こされたのだからね。古典的な作品だけでなく、他の(新しい)作曲家たちの作品も知りたいと思ったのだろう。アンソニー・デイヴィスの『マルコムX』をはじめ、今後も多くの新作が予定されている。そのことに僕は何よりも意義を感じるよ。ニューオーリンズで『チャンピオン』を上演した時、「これがオペラなら、私はまた観にくる」と言われたんだ。あれには感激したよ。僕はプッチーニの大ファンだ。でも、ああいう(古典的なオペラの)ストーリーに必ずしも共感できない人がいることも理解している。そのなかで、『チャンピオン』の物語には共感し、興奮を感じてもらえるのは、あれが今のストーリーだからなんだと思う。