「異端の宰相」は荒野を目指す 多党政治元年、日本政界はどう動くか◇首相交代・政界再編の可能性は?
ノンフィクション作家・塩田潮
2025年11月15日、自民党は結党70年を迎える。24年10月、「自民党の変わり種」の石破茂首相が登場したとき、結党以来、「一貫して派閥主導、民意よりも政権与党」の自民党もやっと「民意に近づく政治」を意識し始めたのでは、と思った。 【グラフ】支持率の推移~岸田内閣から石破内閣 変わり種とは、第一に首相就任時に菅義偉元首相に次ぐ2人目の純粋無派閥首相、第二は離党・復党経験を持つ最初の自民党首相という点だ。ほかにも、取材で石破氏は「理屈で納得しなければやらない」「政治家との会合よりも読書を」と自ら語った。理念・理屈派で、孤高タイプも、自民党では異端者である。その自分が首相を担った使命は民意の実現、と認識していたとしても不思議ではない。 石破首相は就任直後の24年10月に断行した衆院選で大敗を喫した。第2次内閣で再スタートを切ったが、「弱体政権・無力首相・混乱政局・迷走政治」という一面は否定できない。だが、1977年から政治を現場で取材してきた経験からいえば、見方を変えると、「約50年で民意に最も近づいた政党政治」といえなくもない。 24年、石破政権は越年も厳しいのでは、と見た人が多かったが、11~12月の臨時国会を何とか乗り切り、ほぼ無風で25年にたどり着いた。連立与党の自民党と公明党、政策協議方式で合意した国民民主党の「3党体制」が決め手となった。それだけでなく、衆院選後の24年11月の世論調査で「首相交代より政権継続」を支持する割合は軒並み50~60%台と出た。石破首相は今も、この民意が唯一の頼りである。
民意と結託、秘めた「1強」破壊願望
戦後の全36人の首相の中で、就任後1カ月以内に衆議院解散・総選挙を行ったのは、石破現首相と岸田文雄前首相の2人だけだ。事実上の衆議院議員任期満了選挙だった岸田氏は別として、石破氏は初めて自らの判断と主導で超早期の解散・総選挙を実施したが、国民は、どの党も過半数を占めない「少数政党並存政治」を選択した。 直接の要因は裏金問題で信用失墜の自民党を見限る「自民離れ」だったが、日本の民意は、もっと大きな「社会の変貌」を見て動いたのではないか。 成熟社会、高齢化や情報・通信の劇的な進歩などによる日本社会の構造の変化、それに伴う国民の価値観の多様化が引き金となって、国民の多数が現代社会に最適の政治は何か、と考えた。民意は過去の「長期自民党1党支配」や「2大政党政治」「1強政治」などの一長一短を点検した上で、新たに「緩やかな多党政治」を志向したと思われる。その結果、1996年10月以来、28年ぶりに少数政党並存政治が出現した。 衆院選後の11月25日、自民党の森山裕幹事長をインタビューした。選挙前、結果をどう見ていたのか、と尋ねたら、「負けると思っていた」と答えた。石破首相も森山幹事長も負け戦覚悟で超早期解散・総選挙に進んで挑戦したようだ。 負けた後も続投、と強い決意である。もしかすると、この際、「時代遅れとなった自民党」の解党的出直しと新型政党への改造の担い手に、と構想してかじを切ったのかもしれない。 石破首相は就任前から、自民党内の支持は低調なのに、党外では幅広い人気と期待を呼び込む「民意結託型リーダー」として知られた。民意は「緩やかな多党政治」を容認していると見抜き、その現実化と、時代に合った自民党を自分の手で、という自負があったと思われる。