「一年で一番忙しい時に浜を閉めるのか」と猛反対され… 和歌山・白浜町長が語る苦渋の7日間 南海トラフ臨時情報でビーチ封鎖、花火大会中止、経済損失「5億円」
旅館組合の反対意見
閉鎖を決め、22時半、町の経済三団体、すなわち観光協会、商工会、旅館組合の幹部を役場に呼び寄せ、方針を伝えた。 「そこではさまざまな意見が出ました。商工会と観光協会は“仕方ない”と消極的な賛意を示してくれていましたが、やはり一番打撃を被る旅館組合からは強い反対意見が出た。“ホテルは予約でいっぱいだったが、既にキャンセルが出始めている”“一年で一番忙しい時期に浜を閉められたら大変なことになる”と。当然の意見だと思いました。とはいえ、もし浜を開けて地震が起き、犠牲者が出たら、辞職では終わらない。人命にもしものことがあれば、責任の取りようがないですから。そこで、いま申し上げたような方向の決断しかありませんと、改めて伝えたんです」 こうして町は4カ所の海水浴場の一週間の閉鎖を決めた。この後、隣の田辺市や近隣の那智勝浦町なども海水浴場の閉鎖を決めている。 「やはり和歌山は、津波に関しては、よその地域よりも敏感なのかもしれません」 和歌山県広川町には「稲むらの火」という逸話がある。1854年、安政南海地震が起きた際、濱口梧陵という村人が、津波の危険を察知し、高台から稲むらに火を付けて避難を促し、夜の暗闇の中で逃げまどっていた村民の命を救ったというもので、教科書にも掲載され、小泉八雲の英訳で海外にも紹介されている。
最後の一日くらいは…
浜は閉めたが、翌9日はそれでもちらほらとビーチに入り、テントを立てて海水浴を楽しむ若者や家族連れの姿も見られたという。 「町の職員が朝早くに浜に行き、警備員が来るまで巡回をするなど閉鎖を徹底しました。そうした体制を組み、10日以降は誰一人入らなくなりました」 役場では職員が24時間体制で待機し、万が一に備えながら、防災体制のチェックを行った。 「これは本当にいい勉強になりました。例えば、町では津波が来た時のために、避難経路を示していますが、白浜には日本人だけでなく、アメリカ、ヨーロッパ、中国、韓国などから多数の観光客が来るにもかかわらず、それを示す看板には日本語しか書いてなかったんです。また、避難路は高台へと続いているのに、手すりひとつついていない。お年寄りは逃げ切れません。逃げた先に建屋もありませんから、津波が冬に来れば避難先で凍えてしまいます。津波に警戒心が強い町とはいえ、まだまだ課題があることが見えてきました」 臨時情報の呼びかけ期間が終わったのは、15日の17時。しかし、白浜町では朝9時の時点で浜を再開した。 「メディアの方からもおかしいじゃないか、と聞かれました。しかし、発表から概ね一週間経ち、その間に避難経路も確認できた。安全を確保できる見通しが立ちましたし、何より15日はお盆の最終日。17時まで閉めていたら、お盆が終わってしまう。最後の一日くらいは浜で楽しんでもらおうと思って、再開を決めたんです。合わせてその日は浜で避難路を書いたチラシを配り、注意を呼びかけました。何かあったら……と、夕方まで気を引き締めっぱなしでしたね」