感染症の文明史【第2部】インフルの脅威 2章 スペイン風邪:(4)永久凍土から現れたウイルスの正体
石 弘之
スペイン風邪の正体を探る研究が1920年代から続けられてきたが、永久凍土によって保存されてきたイヌイット族の少女の遺体からウイルスが分離され、ゲノムの完全な解読に成功した。その結果、スペイン風邪の原因になったウイルスが確認された。
若者と妊婦を狙い撃ち
1933年に電子顕微鏡が登場するまでウイルスについてあまり知られていなかったので、スペイン風邪の原因は20世紀初頭における最大の謎だった。しかもその謎を深めたのは、死者の年齢が1~3歳の子どもと20~30歳代の若者に集中したことだ。米国における死亡者の99%も65歳未満であり、死亡者のほぼ半数は20歳から40歳の世代だった。 南アフリカの都市でも、20~40歳代の死者が全死亡者の60%を占めた。スイスで治療に当たった医師の記録には「50歳以上で重症者は1人もいなかった」とある。さらに、死亡リスクが高かったのは妊婦だった。パンデミック(世界的大流行)中に入院した妊婦を対象とした調査では、施設によって死亡率は23~71%の範囲で、生き残った妊婦のうち26% が子どもを失った。もう1つの奇妙な点は、北半球ではインフルエンザ(インフル)は通常は冬に流行するのに、スペイン風邪は夏や秋にも広範囲に感染が広がったことだ。 高齢者はそれ以前のインフル流行で感染して抗体を持っていたため、感染しにくかったと説明されたが、この大きな年齢格差の謎はそれだけでは説明しきれない。“サイトカインストーム”で説明する仮説もある。炎症を起こす免疫細胞の働きが暴走、炎症が重症化してショックで死に至るとする説だ。強い免疫システムがある若者や妊婦がかかりやすいと考えられる。これは新型コロナによる死亡原因としても議論された。 また、死亡率には地理的な差異があった。一般にアフリカとアジアの死亡率が高く、一部の地域のデータだが、アジアはヨーロッパよりも死亡率が3倍以上も高かった。インド駐留の英国陸軍では、白人兵士の死亡率は9.6%だったのに対し、インド軍兵士の死亡率は21.9%という人種的な偏りがあった。米国に到着したばかりのイタリアからの移民は、平均的な米国人と比較して死亡率はほぼ2倍だった。これらの格差は、生活環境、食生活、医療へのアクセスの違いなどが反映したとみられる。