江戸時代の力士は高給取りだったって本当? 武士と比べてどちらのほうが稼いでた?
現代社会でも「稼げる仕事」というのはありますが、大きく稼げる職業は時代ごとに異なります。 なかでも、江戸時代の「力士」が高給取りであったことはご存じでしょうか。今でも稼いでいる力士は数多く存在しますが、なぜ江戸時代の力士は大きく稼げていたのでしょうか。 そこで本記事では、江戸時代の力士がどれだけ稼いでいたのか、そして庶民や武士と比較すると、どうだったのかについて解説します。
相撲の歴史
お金の話をする前に、まずは「相撲の歴史」について軽く触れておきましょう。日本の相撲の歴史は、日本書紀や古事記の中で力くらべの神話や伝説が起源とされています。相撲は農作物の収穫を占う祭りの儀式として毎年行われ、のちに宮廷の行事となって300年続くことになります。 ◆戦国時代 その後、戦国時代へと時代が移り変わるにつれて、相撲にかつての力くらべとしての意味合いがよみがえり、武士の訓練の一環として行われるようになりました。あの有名な織田信長も相撲を好んでおり、上覧試合を行って勝ち抜いた者を家臣として迎え入れたという記録も残されています。 このころに、寺院や山門などを建てたり、修復したりする費用を集めるために行われたのが勧進相撲(かんじんずもう)です。簡単に言えば「募金」に近しい行為ですが、このころからお金を稼ぐ行為として行われていたことが分かります。 しかし、社会の風紀を乱すなどの理由から、17世紀中頃になると禁止令が出されるようになります。 ◆江戸時代 江戸時代になると、浪人や力自慢の中から力士を職業とする者が現れ始めました。彼らは、戦国時代から存在していた勧進相撲を全国で行うようになります。 当時は常設の小屋がないため、わざわざ3階建ての仮小屋を境内の中に設営し、そこに大勢の観客を入れて開催していました。こうして、相撲は多くのお金を呼び込む力があるスポーツとなったのです。 このように、現代の相撲の基礎が整えられたのは江戸時代だと考えられます。歴史が進むにつれ、さらにルールの整備やスポーツとしての様式化がなされていき、現代スポーツとしての相撲へ進化しました。