白井文吾・中日元オーナー死去、96歳 落合監督を招聘し黄金期、在任は球団史上最長の20年間
中日新聞社顧問・名誉会長で中日ドラゴンズ元オーナーの白井文吾(しらい・ぶんご)さんが10月29日、老衰のため死去した。96歳。愛知県渥美郡田原町(現田原市)出身。葬儀は近親者で執り行った。喪主は長男・伸明(のぶあき)さん。12月10日に名古屋市内でお別れの会を開く予定。白井さんはドラゴンズに落合博満監督を招聘(しょうへい)して黄金期を支え、球団史上最長の20年間にわたってオーナーを務めた。 ◆2004年のドラゴンズ優勝でナインに胴上げされる白井オーナー【写真】 白井さんは1949年に中部日本新聞社(現中日新聞社)に入社し、常務や専務などを経て、97年に社長、2003年に会長に就いた。20年6月からは顧問・名誉会長を務めていた。 中日ドラゴンズのオーナーに就任したのは00年。04年にはOBの落合博満さんを監督に招聘し、5年ぶりにリーグ優勝。落合政権下でチームは4度のリーグ優勝と1度の日本一を達成し、白井さんは黄金期を築いた指揮官を側面から支えた。白井さんは20年までオーナーを務め、球団の発展に心を砕いた。 活躍の場は多方面にわたった。ナゴヤドーム(現バンテリンドームナゴヤ)建設協議会の事務局長として、97年の開業に尽力。02~20年まではナゴヤドーム社長を務め、野球をはじめとする大規模イベントの実施を通して中部地域の活性化に努めた。 このほか名古屋市教育委員会委員長、日本新聞協会理事、共同通信社理事会長なども歴任。報道・文化の向上発展に大きく寄与したとして、21年には旭日重光章を受章した。 葬儀では、祭壇にリーグ優勝時に胴上げされた写真が飾られた。ひつぎにはネーム入りのドラゴンズのジャンパーが入れられたという。
中日スポーツ