阪神ドラフト5位・佐野大陽、家族の力で野球人生最大の挫折乗り越えた
【なにわ虎男子】阪神の新入団選手にスポットをあてた連載「なにわ虎男子」。ドラフト5位・佐野大陽内野手(22)=日本海L富山=の第2回は、いずれも主将を務めた中学、高校、大学を振り返る。順風満帆とはいかず、何度も悔しい経験をしたが、愛にあふれる家族を支えに乗り越えてきた。 兄弟が多かったこともあり、中学時代はクラブチームへの入部を諦め、地元・富士宮第一中の軟式野球部に入部した。高校は行きたいところに行かせてもらうとの約束で、中学校でも主将を務め、高校は親元を離れて甲子園3度の出場を誇る常葉橘高に進学する。 自分ならやっていけると強い自信を持っての進学だったが、初めて実家を出ての寮生活の中で、ホームシックに悩まされることもあった。 「自分のことを全部しないといけなくなって。何しに来たんだろう、と思うこともあった」 それでも帰省した際に家族の顔を見て心を奮い立たせた。地元の友人からは「甲子園に行ってくれ」と託され、迷いも不安も消えた。 高校でも主将を務めたが、甲子園には届かなかった。3年夏の静岡大会では、3回戦で現オリックスの紅林を擁する駿河総合高に敗戦。今でもその試合の映像を見ることができないほど、人生で最も悔しい一敗を経験した。枯れるほどに涙を流したが、「ここで野球をやめたら絶対後悔するっていう気持ちと、大学では必ずいい結果を出してやろうっていう気持ちになりました」。この悔しさが、佐野の心を再び燃やした。 プロ野球選手になりたいという思いは消えなかった。父・勇気さんにも「行くからには大学でもキャプテンをやるくらいのつもりで」と背中を押され、愛知・中部大への進学を決断。しかし、ここで野球人生最大の挫折を経験する。 「何もかもうまくいかなかった。野球をやめたいなと、このときは結構思っていました」 大学1年のことだ。佐野を立ち直らせたのは家族の存在だった。苦しい姿を見せたことはなかったが、休日には自然と足が実家に向いていた。 「家族のために早くに結果を出したいという思いが強くて、変に期待に応えようとしていた。でも実家でリフレッシュして客観的に考えたら、別に自分のペースでいいなと。そのときに、すごく気持ちが楽になった」