「世界最高であり続ける」 創設者が語るトヨタジュニアの“失われなかった”30年
歴代出場選手にはスコッティ・シェフラー(アメリカ)、ジョン・ラーム(スペイン)、松山英樹らマスターズ覇者が名を連ね、女子では古江彩佳、山下美夢有、岩井明愛らも出場した国際ジュニア大会が日本で開催されていることをご存知だろうか? それは、世界で最も格式が高い国際大会の1つとされる国別対抗戦「トヨタジュニアゴルフワールドカップ」である。第30回の節目を迎えた今年、大会チェアマンのウィリアムH.カーダイクJr氏とサブチェアマンの田頭英治氏に話を聞いた。 「アメージング。始めた時に30年後を想像することは難しかったですが、全てにおいて私の期待を超えています」と感慨深げに振り返るのはカーダイクJr氏だ。「私は当時、フロリダ州コーラルゲーブルズでジュニアオレンジボウルという国際イベントのチェアマンをしていました」と懐かしむ。「タイガー・ウッズやセルヒオ・ガルシアが出るような素晴らしい大会で、各国ゴルフ協会とのつながりもありました。そこに(同州)タンパでジュニアゴルフアカデミーを経営していた田頭安正さん、英治さん親子が『日本でも何かできないか?』と相談に来て、私は熟考の末、団体戦を提案したのです」 【画像】2019年日本女子チームの面々
主なコンセプトは、すでに確立されていたジュニアオレンジボウルのような個人戦ではなく、団体戦をメインに据えること。サッカーW杯のように各大陸から強い国を選抜し、それに加えて1カ国はまだあまりゴルフに触れていない国を招待すること――。当時は電子メールも普及しておらず、各国ゴルフ協会には電話とFAXで連絡したと苦笑する。彼らは一様に「良いコンセプトだし、ぜひ参加したい」と前向きだったが、経済的な余裕がないことが課題だった。 「実現しない良いアイデアはたくさんあります」とカーダイクJr氏は言うが、この大会は違っていた。日本でスポンサー探しを行っていた田頭親子は、島根県出雲市の岩國哲人市長と出会い、市制50周年記念事業の一環として大会が招致されることが決定した。1992年8月、総勢12カ国(14チーム)が集まった第1回大会は、同市のいづも大社カントリークラブで開催された。年に一度、日本全国の神々が集まる出雲が起源であることは大会の象徴的な事実である。「本当は南アフリカにも来てもらいたかったのですが、彼らはアパルトヘイト(人種隔離政策)で来られず、代わりにジンバブエに来てもらったのです」というカーダイクJr氏の裏話も当時の世相を映している。