初代『ウルトラマン』キャスト陣も衝撃…人気絶頂だったのに「突如打ち切り」 何があった?
高視聴率なのに打ち切りになった初代『ウルトラマン』
初代『ウルトラマン』は、前作『ウルトラQ』の人気を受け継ぎ、放送されるや否や視聴率30%を弾き出すお化け番組となり、当時の「怪獣ブーム」を大きく牽引しました。しかしながら人気絶頂の最中、3クールで止む無く打ち切られてしまいました。いったいどういうことなのでしょうか。ここでは当時の背景を探ってみたいと思います。 【画像】えっ、1話と最終回で顔違う? こちらが初代「ウルトラマン」の顔の違いです(4枚)
監修者としての円谷英二のこだわり
円谷プロダクションは、『ゴジラ』をはじめとした東宝の特撮映画で名を馳せた特技監督の円谷英二が設立した独立プロダクションです。その円谷プロにとっての初のTVシリーズ『ウルトラQ』は、豊富なバジェットと充分な撮影期間を設け、全28話(※初回放送では全27話)の制作を終えてから放送する、実に贅沢な制作体制が採られました。 その放送中に企画されたのが『ウルトラマン』です。しかしながら、その制作は多難を極めます。 モノクロながらも映画と同じ35ミリフィルムで撮影された『Q』に対して、本作では当時のTV映画では標準の16ミリ撮影に切り替えられたものの、海外展開を視野に初のカラー撮影に挑戦することになり、さまざまな試行錯誤が強いられました。 作品は放送3か月前の1966年3月にクランクインしましたが、撮影初期から遅延の兆候は見られ、第1話の放送予定日には急遽、「ウルトラマン前夜祭」なる特番を挟んで凌ぐこととなりました。 波乱の中で制作に入った本作ですが、先に述べた通り、フタを開ければ第1話から視聴率30%を弾き出し、前作を凌ぐヒットを打ち立てます。 しかし、特撮は撮影に大変な時間を要するもので、早朝から準備して撮影は日が暮れてからといったこともザラではなかったそうです。さらには監修者としての円谷英二のこだわりはもちろん、妥協しないスタッフの姿勢もあり、そのクオリティの高い映像もまた人気の秘訣でもありましたが、やがて、そうした無理のある制作体制がジワジワと影響を及ぼしていきます。