「もはや“ととのい至上主義”だ」「銭湯が、お年寄りが行けない場所になりつつある」…サウナの「異様な流行」の裏で進む“老人の排除”の実態とは?
こうした、用語や礼儀作法の面でも、サウナから高齢者は「静かな排除」を受けており、逆にそれこそが、昨今のサウナーたちの結束力を高めたのかもしれない。 ■サウナは昔から、「誰かのため」の空間だった? ただし、かつてのサウナが「公共的」だったかどうかは怪しいところもある。 数多くのサウナ施設を作ってきたという設計士の中村敏之は「僕たちが若い頃のサウナ施設は「男性天国」という言い方がされていましたよね」と述べ、かつてのサウナではポルノ映画が上映されていたことなども振り返りつつ、そこがおじさんたちのために作られた空間だったことを振り返る。
こう考えると、そこはもともと、高齢者に「選択と集中」された空間だったのかもしれない。 ちなみにフィンランドのサウナでは、たまたま居合わせたおじさんたちが、人生の悩みを語り、号泣することもあるという(映画『サウナのあるところ』より)。 密閉性の高いサウナという空間が、どこかそこに来る人の親密さを生み出すのかもしれない。 こうして考えると、サウナのテーマパーク化は今に始まったことではなく、むしろサウナ自体がその空間的な密閉性を持ち続けながら、さまざまな属性の人たちの「テーマパーク」を作り続けてきたのかもしれない、とも思えてくる。
最初は「おじさんの天国」として、そして現在は「ちょっと金を持っている若者たちの場所」として。 こうした都市における、あるタイプの人々の「選択と集中」の推移がわかるのが、サウナという空間なのだ。
谷頭 和希 :都市ジャーナリスト・チェーンストア研究家