「諦めない強さは、いつだってみかんが教えてくれた」西日本豪雨からまもなく6年…生産者を通して見る町の現在地
南海放送
愛媛県内に甚大な被害を出した西日本豪雨災害からまもなく6年を迎えます。関連死を含め、県内で最も多い13人の命が失われた宇和島市吉田町。2人のミカン生産者を通して見た、町の現在地です。 ミカン農家 坂本辰幸さん: Q.6年振り返って? 「長かったようで短かったような、もう分からなんだですね」 ミカン農家 中島利昌さん: Q.6年経って変わったことは? 「まだ去年まではミカンの木を作ることだけに一生懸命やった。今年からは秋にハサミの音がする。ペチペチと」
いまから6年前。2018年、7月7日の西日本豪雨。町内の2200を超える場所で土砂崩れが発生した宇和島市吉田町では、小学生を含む13人が亡くなりました。 ヘリからのリポート: 「見る限り一面、みかん畑が崩れてますね。これ全部そうか…全部だな。ひどいなこれ」
“愛媛ミカン発祥の地” 土砂崩れで4分の1の園地が失われた
江戸時代にミカン栽培が始まった“愛媛ミカン発祥の地”。町を代表する産地の玉津地区では、園地のおよそ4分の1が土砂崩れによって失われました。
先月25日。玉津地区で代々続くミカン農家、中島利昌さん64歳。去年、農作業中に足首を骨折したといいますが、ミカン作りへの情熱は衰えません。
「なぁきれいにできたら東京行って、どんなお客さんに食べてもらうやろういうミカンなんやけど…どこの誰にも食べてもらわずに終わるんですよ、この子らは…見れば見るほど辛いです」
6年越しにようやく実を結んだ小さなミカン 収穫できることの喜び
再び立ち上がることを決意した中島さん。1本1本。産地の再生に向け、希望の苗を植え続けてきました。 中島さん: 「これは5年生のミカンの木になったんですけど、まだ今年も上は花を摘蕾して芽をふかしてやる。下半分ぐらいに実を成らしてやる。木を大きくしながら収穫できるように。ようやく初収穫です」
あの日から6年。ようやく実を結んだ小さな小さなミカン。 中島さん: 「今までここで災害に遭うまでにできていたミカンみたいにおいしいミカンではない。それでもミカンを収穫、ハサミが入れれるという楽しみですよね」 6年越しに迎える、初収穫という大きな節目。 「同じ災害復旧した園地でもまだ苗木が植えられない、植栽できてないところもありますし手放しでは喜べないですけど、逆に(この園地を)見に来てもらってこういう木になりましたよって、みなさんにご報告がてらお話したいと思います」