日産9000人削減の衝撃 「技術自慢の会社」ほど戦略で大コケする理由
「技術の日産」ゆえの迷走
ビジネス的にはグループの三菱自動車を活用したい。しかし、それでは「技術の日産」の否定につながってしまう。そんなジレンマが外部に漏れてきたかのような、奇妙なスクープ報道があった。 『日産自動車、PHVを自社開発 EV逆風で世界戦略車に』(日本経済新聞 9月22日) 三菱自動車の技術を活用することなく、日産オリジナルPHVを開発して2020年代後半に販売できる準備を整える、という日経独自の特ダネである。 これが事実かどうかは分からないが、一つだけはっきり言えるのは、いまだに日産車内ではPHVを巡るスタンスが定まっていないということだろう。 会社の業績を左右する戦略が、なぜこんなに迷走するのかというと「技術の日産」だからだ。世界中のほとんどの自動車ユーザーからすれば、質の良いEV、HV、PHVに乗れることが何よりも大事だ。その技術を日産がつくろうと、三菱自動車のものを活用しようがどうでもいい。 大切なのは、価格や安全性、使い勝手、装備の充実さ、乗っていて楽しいのか、心が満たされるのかだ。それはまさしく中国人ユーザーたちが、アリアに感じられなかったことである。 「だからこそ技術が大事だろ!」と激怒しているエンジニアも多いだろうが、技術などどうでもいいという話ではなく、技術力はあくまで顧客の幸せを実現する「手段」に過ぎない。技術力を磨くことばかりに執着すると、顧客にそっぽを向かれると言っているのだ。 例えば、東大、京大などの高学歴講師ばかりをそろえた学習塾を想像していただきたい。「うちの講師の学力は日本一!」と高らかにうたい、講師たちの学力にさらに磨きをかける。この学習塾に自分の子どもを通わせたい、という親はどのくらいいるだろうか。 「なんか違うんだよなあ」と感じる人も多いはずだ。大切なのは子どもたちの学力向上や合格なのであって、講師の学力はあくまでそれを実現する「手段」に過ぎない。「客」の立場からすれば、志望校に合格させてくれるのなら、講師の学歴・学力などどうでもいい。企業の「技術力」も基本的に同じだ。 粗悪品があふれる途上国では「技術のホニャララ」というようなスローガンは消費者に刺さるだろう。しかし、自動車もEVも世界中で技術のコモディティ化が進んでいる中で、独自技術に過剰にこだわるのは自分の首を絞めかねない。「われわれは常にこうでなくてはいけない」と自縄自縛(じじょうじばく)のわなに陥って、世間ズレしてしまうだけだ。 「技術の日産」なんて自画自賛的なスローガンはいい加減そろそろ取り下げて、米国や中国の人々が本当にどんな車を望んでいるのかということに真摯(しんし)に耳を傾けるべきではないか。 (窪田順生)
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