水沼氏が語る ミラン本田の強靭なメンタル
そのデビュー戦では、後半21分からロビーニョに代わってピッチに投入された本田だったが、最初はまったくと言っていいほどボールが回ってこなかった。10分ほどが経過したとき、本田がベンチに向かって何かを叫ぶ姿がテレビに映し出されている。 ボールが本田のもとへ集まり始めたのは、そのシーンの直後からだった。あくまでも私の推測の域を出ないが、本田は当時のマッシミリアーノ・アッレグリ監督に対して、他の選手たちに、もっと自分を見るように、もっと自分にパスを出すように、指示を出してくれと要求したのではないだろうか。 日本代表では前線でタメと時間を作り、周囲の選手を生かし、ときには自ら強引に仕掛けることが多いが、ミランでデビューした当初の本田はワンタッチ、ツータッチで極めてシンプルなプレーに徹していた。 ミランの前線には、バロテッリをはじめとしてボールを欲しがる選手、あるいはドリブルで仕掛けたがる選手が多い。そうした状況の中で本田までもが同じプレーをしていては、リズムの変化を生み出せないと考えるに至ったのだろう。 まずは自分を主張し、ボールを預けてもらった上で、ミスをしなければ信頼を得られる。そこから少しずつ、自分がボールを持つ時間を長くしていく、という方向へ考え方をシフトさせていったのだと思う。15日間で5試合に臨んだ過密日程の中で、日々のトレーニングの段階から英語を駆使して、そうした考え方をプレーの中に落とし込み、周囲とのコミュニケーションを密にしてきたのだろう。 本田も人間である以上は、入団会見などでは自信があると公言していても、名門ミランで日本人が10番を背負ってプレーすることへのプレッシャーを間違いなく感じているだろう。それに打ち勝つだけでなく、ピッチの上で違和感なく、威風堂々とプレーさせる原動力に変えていく強靭なメンタリティーには、心の底から感服せざるを得ない。 本田はカリアリ戦で、移籍後初の90分間フル出場を果たした。相手ボール時になれば、何度も自陣に戻ってきていた。誰よりも本田自身が今後に対して、「十分にできる」という感触を得たはずだ。終了間際に右CKを託され、FWパッツィーニの決勝弾をアシストした結果と合わせて、2月以降の戦いが非常に楽しみになってきたと言っていい。