「最後まで折り合いはつかなかったですね」インターハイ3冠も大学を1年で退学…陸上“歴代最強”高校女王が振り返る「過去の栄光との葛藤」
「自分が求める陸上」をやりたい…大学を退学
誰かが求める陸上ではなく、自分が求める陸上をやりたい。19歳の彼女は帰りの飛行機の中でそう決意し、その1カ月後に大学を休学。そのまま退学した。 大学を離れた石塚は20歳の秋、ローソンに所属して競技を続けることを発表。そこから「自分の陸上」を突き詰める5年間が始まった。関西から上京し、城西大陸上部監督の千葉佳裕氏に師事。その後は、エージェントを通じてドイツ人のコーチと契約し、ドイツ語の練習メニューを翻訳しながらオンラインでコーチングを受けた。 2019年に約3カ月の休養を挟んだのち、アメリカ在住の岡本英司氏のもとでトレーニングを積んだが、コロナ禍でスケジュールの目途が立たず、契約を解消せざるを得なかった。そこから引退までは、TWOLAPSの横田真人氏、和田俊明氏とディスカッションを重ねながらトレーニングを模索した。
過去の栄光との葛藤は…「最後まで折り合いはつかなかった」
学生陸上を離れてからの5年間、自己記録を更新することはなかったが、自ら指導者にアプローチし、さまざまなトレーニングで試行錯誤を重ねることに意義も感じていた。しかし、どれだけ現状のベストを尽くしても、華々しい過去の実績と比較され、厳しい評価を下されてしまう。 自らの意思に関わらず、過去の栄光が付きまとう現状とどう折り合いをつければよいのか。常にそんな葛藤を抱えていた。 「結局、最後まで折り合いはつかなかったですね。会社への申し訳ない気持ちとか、上手くいかないもどかしさ、無念さをたくさん感じて、幾度となく心が折れそうになる瞬間がありました。それでも、まだ応援してくれる人たちがいたから『もうちょっと頑張ってみようかな』と続けてこられたのかもしれません」 石塚は2022年10月、MDC兵庫大会を最後に現役引退を報告。決定的なトリガーがあったわけではなく、競技を続けたい理由と辞めたい理由、両極の感情が積もり積もった天秤が後者に傾いたタイミングだった。 「ずっと2つの感情が積み重なっていて、それが『引退』のほうにガクッと傾いたという感じです。なかなかトレーニングが継続できない状況で、会社からサポートを受け続けるのに違和感もあって。だったら、競技者というフェーズを終えて、いち社会人として役に立てるような人間になろうという気持ちになりました」 たとえ周囲が求める結果とは違っていたとしても、自分が求めてきた「陸上の形」に近いものを築けたという納得感もあった。「誰にも真似できない13年間だった」。石塚は引退セレモニーでこう語り、トラックを去った。 「一番輝かしかったのは高校時代でしたけれど、あれだけ成功した後にいっぱい挫折できたのは、逆にすごい経験かもって(笑)。上手くいく確証がなくても前に進む自分になれたのは、陸上から受け取った大きな財産だと思っています」 現役時代から女子選手のユニフォームや迷惑撮影、指導者との関係性について問題提起を重ねてきた石塚。引退して自らの競技人生を振り返った今、次世代のアスリートに伝えたいことがある。 <次回へつづく>
(「オリンピックPRESS」荘司結有 = 文)
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