「薬を飲まない薬剤師」が明かす“薬漬け”のリスク 「1日17錠飲んでいたが現在はゼロ」
薬剤に耐性を持つ菌が次々に
抗生物質は、細菌による感染症を抑える上では極めて大きな威力を発揮します。しかし、ウイルスの感染に関しては全くもって無力。そして、風邪の多くはウイルス感染によるものです。つまり、風邪の患者さんに抗生物質を出しても意味がないのに、日本では長らく風邪に対しても抗生物質が処方されてきました。 このような抗生物質の“無駄遣い”に加え、家畜の飼料にも抗生物質が混ぜられるなどしているため、抗生物質という“敵”と対峙する機会を多く与えられた細菌は鍛えられていきました。そして敵よりも強くなり、抗生物質が効かない、つまりは人の命を奪う力が強い薬剤耐性菌が次々と生み出されていったのです。 抗生物質の乱用の罪深さは、過度に服用している当人の問題にとどまらない点にあります。例えば、幼い子どもを持つ母親の中には、わが子が風邪と診断されると抗生物質を欲しがる人がいます。繰り返しになりますが、その風邪がウイルス性のものであれば抗生物質には何の意味もありません。しかし、そうした知識を持たずに、「風邪には抗生物質が一番」と信じ、あるいは「お守り代わり」のようにして抗生物質を処方してもらい、子どもに飲ませる。 これは、お子さんに無駄な抗生物質を服用させているだけでなく、その無駄な服用によって新たな薬剤耐性菌の出現を誘発し、結果的に社会全体、とりわけ免疫力が落ちている高齢者に迷惑をかけることにつながってしまうのです。
もらわなければ損?
政府は毎年11月を「薬剤耐性対策推進月間」と定め、薬剤耐性菌問題の啓発に努めていますが、薬剤メーカーをスポンサーとしているメディアがあまり報じないせいか、抗生物質の乱用はまだなくなってはいません。せっかくの機会ですから、ぜひ今年は「他人への迷惑」につながる抗生物質の乱用についてよく考えていただければと思います。 では、無駄なケースがあるのに抗生物質の乱用はなぜなくならないのでしょうか。その原因は、薬全体の乱用にも通じるものといえるでしょう。 〈体調を崩したので病院に行って薬をもらう〉 多くの人にとってごく当たり前のことだと思います。でも、私は違和感を覚えます。問題は〈薬をもらう〉という表現です。多くの自治体で子どもの医療費は無料になっていて、高齢者も75歳以上は原則1割負担。薬もタダ、あるいはタダ同然という感覚になっている人が少なくないのではないでしょうか。だから、〈薬はもらうもの〉という感覚になってしまう。 しかし、私たちは〈薬を買っている〉のです。タダでもらっているのではなく、私たち自身があらかじめ納めた保険料や自治体の公費(原資は税金)が補助に充てられているのであり、私たちは間違いなく薬を買っているのです。にもかかわらず、窓口では無料、あるいはとても安い自己負担額しか払わないので、薬をもらっていると勘違いしてしまう。国民皆保険は素晴らしい制度である反面、薬を処方してもらうことに対して国民にある種の“甘え”を生み出してしまっている面もあるのです。タダならばもらわなければ損だ、と。