『シティ・オブ・ゴッド』容赦なき地獄の暴力映画は、なぜ不朽の名作になりえたか? ※注!ネタバレ含みます
実はブラジル版『ウォーターボーイズ』! 青春全開の撮影現場!
本作の特殊な点は、出演者の大半が演技経験のない新人である点だ。ほとんどの出演者がファヴェーラで行われた大規模オーディションで合格した、新人俳優たちなのである。主人公格のブスカベもリトル・ゼも例外ではない。主要な登場人物から脇役まで、実際にファヴェーラで生きてきた少年少女たちがキャスティングされているのだ。リトル・ゼ役のレアンドロに至っては、「友だちの付き添いで遊びに行ったら、友達が落ちて自分が受かった」と、まるでアイドルのような経緯で出演が決まったという。 そしてオーディションに合格した少年少女らは、半年に渡る演技のレッスンを受けることになった。指導者は、これまた実際にファヴェーラで若者に演劇を教えている人物だ。監督と指導者は、参加者する子供たちをいくつかの班に分け、なるべく多くの時間を演技の勉強に使えるように時間割まで整理した。 子どもたちは班で協力して、指導者から出された課題に取り組んだ。演技指導は厳しかったが、大人たちのケアも十分になされていた。題材が題材なので、たとえば「警察官に押さえつけられる」などの乱暴なシーンも出てくる。そういうシーンで子どもが恐怖を覚えると、すぐさま警官役の大人は謝った。練習前には、参加者全員で手を繋いで輪を作ることを一つの儀式として取り入れた。最初こそ子供たちは「何でこんなことを?」と疑問を思ったそうだが、何か月も続けるうち、この儀式によって仲間意識が芽生えていったという。こういった半年間の猛特訓を経て、子どもたちは役者としての実力をつけていった。そして子どもたちで短編映画を一本作ったあと、いよいよ同作の撮影に入った。この頃には子どもたちは立派な役者になっていたという。 さらに撮影現場では、再び特殊な手法がとられた。監督のフェルナンド・メイレレスと共同監督のカチア・ルンヂは、即興性を優先したのだ。俳優たちにその場にあった台詞を自分たちで考え、喋らせた。台本はあるものの、場合によっては俳優には読まないように指示し、時には原型を留めないほど台本を変えることもあった。この即興性を優先したスタイルは、大成功を収める。何せファヴェーラ育ちの子どもたちだから、ファヴェーラの言葉遣いは手慣れたものだ(ちなみに監督自身は「僕は銃の持ち方なんか知らない」と語っている)。彼ら彼女らの生の言葉が、映画のリアリティを一つ格上げしたのは間違いないだろう。 そしてメイキングに収められた映像は、あれほどヴァイオレンスな映画の舞台裏とは思えないほど、和気あいあいとしていて、まるで部活動の合宿のようだ。時には役が掴めず悩み苦しむ姿や、逆に役に入り込み過ぎてしまう姿もあるが、それを大人たちがしっかりとサポートしている。 一つの目的に向かって一致団結する若者たちと、それを手厚くサポートする大人たち。その姿は、まるで部活動合宿であり、まさに青春そのものだ。こうした青春としか言いようがない背景があるからこそ、本作には不思議な爽やかさが漂っているのだろう。こういった撮影時の雰囲気は、不思議と画面に宿ってしまうものだ。たとえば……。 今のアラフォー以上には、この喩えで通じるはずだ。かつて日本を席巻した青春映画の名作『ウォーターボーイズ』(01)を思い出してみてほしい。男子高校生たちがシンクロナイズドスイミングに挑戦する青春映画だが、あれも若手俳優たちを集めて実際にシンクロの合宿を行い、実演のシーンを撮影したという。数か月に渡る実際の特訓があったからこそ、シンクロを披露するシーンではフィクションの枠を超えた感動が生まれたのだ。シンクロの演目が終わったあとにキャストが流す涙は、明らかに演技ではなかった。 少年たちのシンクロと少年たちの殺し合い……まるで正反対だが、若者たちが実際に青春を費やして撮影したという一点において、『シティ・オブ・ゴッド』と『ウォーターボーイズ』は同じだ。