地球の新しい地質年代「人新世」の新設案を否決 その理由と背景は
■結果は「否決」その理由は?
人新世が正式な地質年代となるには、以下の3段階の投票と承認が必要となります。 1. 第四紀層序小委員会 (人新世作業部会の上部組織) での投票で60%以上の賛成票を獲得 2. 国際層序委員会 (第四紀層序小委員会の上部組織) での投票で60%以上の賛成票を獲得 3. 国際地質科学連合 (国際層序委員会の上部組織) の理事会での審議の上での承認 2024年2月1日から6週間、最初の段階である第四紀層序小委員会での議論と投票が行われましたが、最終的に18人のうち4人が賛成票を投じた一方、12人が反対票を投じて否決されました(残り2人は棄権)。 この投票は開始前から渦中にあり、投票を前にメンバーの少なくとも1人が辞任しています。また、今回の投票自体が内部規定に違反した状態で行われたとして、投票が無効であるという申し立てが行われています。通常、否決された結果に対して無効の申し立ては行われませんので、これは異例とも言えます。今回の投票結果が正式に発表される前にNew York Times誌で報道されたことも、小委員会の中で不協和音が生じていることを表しているのかもしれません。
とはいえ今回の否決は、人新世という地質年代そのもの、ひいては人類の活動が地球環境を変えたことを否定するものではありません。否決の理由は正式には公表されていませんが、理由の1つとして言われているのは、人新世が世をに相当する時代区分であるかどうかです。少なくない地質学者は、人新世を正確に定義するための地質学的議論が不十分であり、世であると定義するのは時期尚早だと考えています。 さらに重要な争点として「人新世の開始が1952年」という点が挙げられます。確かに、クロフォード湖の堆積物で見つかる証拠は1950年代から急激に進行した気候変動の時期と一致します。しかし、気候変動の原因である温室効果ガスの放出は、18世紀後半に始まる産業革命の頃から急激に増大しています。実際、人新世の提唱者の1人であるクルッツェン氏は、18世紀後半が人新世の始まりであると提唱しています。 また、人為的な環境の改変という点で、他の時期を人新世の始まりとする主張もあります。例えば以下の年代が提案されていますが、これ以外にも様々な案があります。 ・核実験によって生成される放射性炭素の濃度がピークとなった1964年 ・オービス・スパイク(二酸化炭素濃度が低い濃度を記録したピーク)の1610年(※5) ・金属製錬の副産物としての鉛の痕跡が地層に見られる紀元前1000年~0年ごろ ・農業の開始で大気中のメタン濃度が上昇した紀元前3000年ごろ ・完新世の開始時期である紀元前9700年(1万1700年前) ※5…二酸化炭素濃度の減少は、ヨーロッパ人が北アメリカ大陸に到達し、アメリカ先住民族の人口が減少した影響で、伐採が減って森林が回復した影響であると考えられています。つまりこの案は、人類が大陸から大陸へと大量に移動し始めた時期であることを踏まえたものです。 特に、今回の1952年案のような非常に具体的な年代、および直近の年代とする点については、多くの異論が出ています。まず、人新世の開始時期を具体的な年数とすることは、提唱者の1人であるクルッツェン氏も反対しています。どの地質時代の環境変動も特定の日時や場所で発生するものではなく、地球全体に影響が広がるまでどんなに短くても数年、場合によっては数百万年もの時間をかけて徐々に進行していきます。このような年単位を越えて変化していく環境の性質は、1952年ピッタリに人新世が開始するという提案とは相容れません。