術後4時間半のタクシー移動…マンC施設の2か月は「地獄でした」 “逸材”が苦境から世界へ【独占インタビュー】
昨年10月に右ハムストリングを負傷→単身でマンチェスターへ
パリ五輪代表メンバーが7月3日、発表される。オランダ1部スパルタ・ロッテルダムでプレーするMF斉藤光毅は、この世代を牽引してきた存在。横浜FCから19歳で海を渡った男は22歳を迎えた今、“その時”を迎える。人一倍思い続けてきた世界での舞台。そのためにオランダでもがいてきた日々。このほど「FOOTBALL ZONE」のインタビューに応じ、本大会への気持ちを明かした。(取材・文=FOOTBALL ZONE編集部・小杉舞) 【動画】「明らかにデカくなってる」 ファンが指摘したMF斉藤光毅の肉体変化 ◇ ◇ ◇ 「本当に世界が注目する大会。日本人は特に、五輪に対する思いというのは、選手もサポーターのみんなも含めて強いと思うので、そこは本当に大きな大会だというイメージはあります。このチームとしても五輪をずっと目指してやってきていたので本当に勝ちたいです。そこで活躍すればやっぱり自分の価値がどんどん上がると思うので、自分のキャリアにとってもすごく大事な大会だと思います」 年代別代表で「10番」を背負い、パリ五輪世代の象徴的な存在。ただ、度重なる負傷での長期離脱、海外クラブ所属ということもあり、昨年11月のU-23アルゼンチン代表戦やU-23アジアカップではメンバー外だった。今年6月のアメリカ遠征で、9か月ぶりに復帰。左サイドのアタッカーがたもたらす効果は大岩剛監督率いるU-23日本代表にとってとてつもなく大きい。 昨年10月に右ハムストリングを負傷し、手術を受けた。スパルタ2年目で結果も出さなければいけない、五輪に向けた重要なシーズン。3か月半に及ぶ長期の負傷離脱に「すごくキツかった」と表情がゆがむ。何よりもリハビリが精神的につらかった。 「本当にメンタルがキツかったです。サッカーをやっていないと退屈ですし、代表もスパルタも他力で、自分の気持ちをぶつけることもできないので本当につらかったです。知り合いが連絡をくれたり、会いに来てくれたりしたけど、自分でなんとかしなければいけない時間も多かったです」 斉藤の保有元であるベルギー2部ロンメルがシティ・フットボール・グループなため、1人でマンチェスターへと渡り、イングランドで手術を受けた。「シティの施設でずっとリハビリしていた」と、孤独な戦いを強いられた。 「全然知らない土地で、周りも知らない人たちばかりで、そこに放り込まれたという言い方はちょっと変かもしれないけど、そこでリハビリメニューを出されて。ホテル暮らしで、最初はずっと松葉杖だったので、移動もできない。手術当日、入院もなくそのままタクシーで4時間半ぐらいかけて帰りましたが、松葉杖だから荷物も持てなくて。買い物でも松葉杖ではカゴが持てないので、買うものをポケットに入れて。ちゃんとお金は払うんですけど、周りからすごく見られるので嫌でした」 マンチェスターで続いた約2か月のリハビリ期間。「本当に地獄でした。人生で一番長く感じた」と、振り返る。ただ、そこで収穫もあった。 「本当にいろんな検査をしたので、シンプルにデータで自分の身体を知ることができました。スパルタのフィジカルコーチが日本人なので、相談しながらトレーニングを積めました。ハムストリングが少し弱いという結果が出て、腹筋は強いけど、横からの力が入った時に弱くなるとか。細かい部分をリハビリで知ることができました」 それはシティ・グループの施設環境の良さに助けられた。今年1月28日、第19節バールバイク戦で途中出場して復帰を果たすと、翌20節ズウォレ戦では先発の座を取り戻した。そこから15試合連続でスタメン出場し、1ゴール4アシスト。後半戦での圧倒的な存在感は斉藤の“意地”だった。 「(復帰後)立場を崩さなかった、渡さなかったというのは本当に大きいと思います。昨シーズン(2022-23シーズン)の最初は試合に出られなかったり、途中出場が多くて、自分の『立場』を作れていませんでした。その部分は成長したと思いますし、自分が中心となって試合ができたというのは大きいなと思いました。立場を作る大切さをすごく実感しています」