マジトラのゆくえ【キリスト教で読み解く次期トランプ政権】前編
カトリック信仰が政治家ヴァンスをつくった
それは政治家としての今日のヴァンスのポリシーにも直接関係することだ。貧困が代々継承される白人労働者階級出身のヴァンスは、この出口のない貧困という問題をどのように解決できるのか、自分はこの問題の解決のためにどのように貢献できるのか、様々な研究書を読み考えていた。彼は、貧困を自己責任とみなす右派の言説を無慈悲だと感じた。が、同時に、貧困を構造的問題としつつも「動物園の動物に対するような」眼差しで経済的援助を推進する左派の言説にも違和感を感じたと言う。 相反するこれらの世界観と、それぞれの知恵と欠点について考えを巡らせるうちに、私は、私たちの悪い行いが、同時に社会的でありかつ個人的であり、構造的でありかつ道徳的であることを理解する世界観を切望するようになりました。その環境を変える責任があるが、それでも私たちは道徳的な存在であり、個々の義務を負っている。離婚率や麻薬中毒の増加に対して、彼らの社会のネガティブな外部性に関するきれい事の結論としてではなく、道徳的な憤りをもって反対を唱えることができる、そのような世界観です。(The Lamp, April 1, 2020) カトリック信仰が、彼の求める世界観を与えてくれた。そして彼は同様の考えを、繰り返し「勉強しなかったらチャンスさえないんだよ!」と叱咤してくれた祖母から受け取っていたことに気づいたと記している。 2019年、敬虔なヒンドゥー教徒の妻のサポートとドミニコ会の知的な司祭たちの指導のもと、ヴァンスはカトリックの洗礼を受けた。彼の洗礼名は、先述の神学者、聖アウグスティヌスから取られた。
彼らは「わかって」やっている
以上のことから理解できるのは、ルビオもヴァンスも、しばしば反知性主義的な傾向を持つ右派とみなされる福音派を経た後、より知的な世界観を求め、ヴァンスの言葉で言えば、問題を「構造的かつ道徳的」に捉えられる世界観としてカトリック信仰を選び取ったということである。 少し大袈裟な言い方が許されるならば、右派でも左派でもない第三の道を彼らはカトリック信仰に見出そうとしたとも言えるだろう。特にヴァンスは、規制を嫌い、小さい政府を好む典型的なリバタリアン右派に見えるルビオ以上に、この第三の道としてのカトリック信者としての意識が強いように見える。 次回の記事では、共和党内では最も頭脳明晰な論者とされ、トランプ2.0の行方を担うこの次期副大統領・ヴァンスについて掘り下げる。彼はピーター・ティールに私淑し、イーロン・マスクの巨額の支援を副大統領候補として受け入れつつも、GoogleやAmazon、Appleといったビックテック企業の寡占を強く批判する。一見矛盾する、そして従来の共和党らしくない彼の政治ポリシーやお騒がせな言動について、カトリック信仰という視点から分析する。
柳澤 田実(関西学院大学神学部准教授)