日本軍「最強空母・瑞鶴」が、軍事誌”大特集”で話題…! 元建造担当者が明かした「知られざる秘話」と「あわや遭難の危機」
昨年の映画、今秋の地上波で人気を博した「ゴジラ-1.0」。そこで日本本土防衛の艦として脚光を浴びた駆逐艦「雪風」は、幾多の海戦を経て終戦まで生き延びた幸運艦として知られるが、空母でも最強幸運艦が存在した。その名は「瑞鶴」。老舗軍事雑誌「丸」1月号で大特集され、ファンの間で早くも話題を集めているという。 【写真】軍事誌発「伝説の航空機本」、そのすごい中身を公開する…! 真珠湾攻撃を皮切りに、インド洋海戦、珊瑚海海戦、第2次ソロモン海戦、南太平洋海戦、マリアナ沖海戦をくぐりぬけ、最後はレイテ沖海戦で囮役を担って沈没した日本海軍が誇る名空母。川崎造船所で建造された空母第一号の秘話を、元「瑞鶴」建造担当の長谷川鍵二氏の手記から一部抜粋・再構成してお届けする。
1日工事遅れで自刃も、想像を絶する軍機密の厳しさ
私が川崎造船所(現川崎重工業)に入社した昭和9(1934)年当時、繰り返し聞かされたのは大正3(1914)年に巡洋戦艦「榛名」の艤装工事が遅れたため、同艦の繋留運転が一日遅れたことに原因して、そのころ名部長(造機工作部)とうたわれた篠田恒太郎氏が、責任上自刃されたということだった。この悲しい逸話一つをもってしても当時の造船所のムードがどんなものであったかご想像をいただきたい。 くわえるに当時の軍機密の厳しさも想像を絶するものであり、戦艦とともに、主力艦の地位を占めつつあった空母においては、この傾向はとくに強かったから、むろんこの建造に関して誰かに問い合わせるなどは論外のことであった。しかも「瑞鶴」は通称第四号艦と呼ばれ、昭和12(1937)年度から始まった無条約時代の建艦計画の代表的な大型艦四隻の一つ(他の3隻は「大和」「武蔵」「翔鶴」)であったから、これによせる海軍側の期待も大きいだけに、 機密保持の程度もおよそ見当がつけられると思う。
「迷子」も相次いだ建造途中の「迷宮」構造
技術面で今も感じていることは、軍艦構造が実に複雑であり、工事が進むにつれてその特殊性を強烈に思い知らされたことだった。 たとえば、この艦には12.7センチの高角砲が二連装で片舷4基合計16門搭載されたのだが、これらの大部には弾薬庫があることになる。船殻工事が進んで隔壁や外板、甲板が付けられてくると、なにしろ甲板だけで11階もあるのだから、目的の弾薬庫へ着くまでには、マンホールを三十数コもくぐらねばならなかった。 弾薬庫にかぎらず、目的地まで迷わずにたどり着くということは大変なことで、あらゆる作業員が、マンホールを1コくぐるごとに、自分の進路にチョークで印を付けないと「行きはよいよい帰りはこわい」ということになる。昨日は白チョークで付けると、今日は赤チョークを使うといった具合で、その印もなかなかわからない。うっかり作業服でこすってしまうと、消された当人は、さぞ困ったことと思う。 いちど弾薬庫で煙にまかれ、工員が窒息死したことがあるが、たまたま大男だったということで、運びだすのに大さわぎしていたことを見かけたものだった。部下に命じて現場のどこで会おうと言って、ついに来なかったこともある。あとで訊くと、道に迷ってしまったということであった。