「海に眠るダイヤモンド」「スロウトレイン」…向田邦子さんの“系譜”受け継ぐ野木亜紀子氏の作品群
向田作品も考えさせた
向田さんのホームドラマにも笑いと涙があり、繊細だった。たとえばテレビ朝日「だいこんの花」(1970年)である。 主人公は真面目なサラリーマン・永山誠(故・竹脇無我さん)。2人で暮らす父親の永山忠臣(故・森繁久彌さん)は元海軍大佐。時代遅れの男で、誠は頭を痛めっぱなし。忠臣のズレた行動が観る側を笑わせた。 一方で忠臣は自分が迷惑な存在であることが分かっていた。それでも海軍で叩き込まれた習性はあらためられない。忠臣は海軍時代の部下に向かって、こう説く。 「長生きすると子不孝だぞ」 終戦から四半世紀が過ぎており、国のために戦った者への敬意は薄らいでいた。時代に取り残された人間の哀しみが表された。 シリアス調のホームドラマも繊細だった。NHK「父の詫び状」(1986年)などがそう。向田さんの自伝的エッセーが原作だった。 時代設定は太平洋戦争前の1940年。向田さんをモデルとする15歳の女学生・田向恭子(長谷川真弓)が主人公だった。恭子の父親・征一郎(故・杉浦直樹さん)が、保険会社の支店長になるところから物語は始まる。征一郎は高等小学校卒で、入社時は給仕だったから、大出世だった。 征一郎は家の中では独裁者だった。恭子を激しく叩くこともあった。恭子は征一郎を憎み、「父のような人とは結婚しない」と決めていた。 その考えが変わったのは征一郎の実母・千代(故・沢村貞子さん)の通夜の席。保険会社の社長が弔問に訪れると、普段は威張りちらしている征一郎が、額を畳に擦り付け、感謝していた。 恭子は思った。「父はこうやって戦ってきたのか……」。征一郎は自分たちのために仕事で我慢を重ねていた。恭子は征一郎の全てを許すことにする。 恭子がそんなことを思っているとは、征一郎は考えもみなかっただろう。向田さんは複雑な人間心理を巧みに書き表す名手だった。 向田さんは1950年に実践女子専門学校国語科(現・実践女子大)を卒業後、社長秘書などを経て、女性フリーライター集団の事務所に所属し、週刊誌などに執筆していた。社会を見る目が鋭かったはずである。 『しんぶん赤旗』の愛読者だったことでも知られる。紙面にもたびたび登場した。同紙上で「別に自民党のために書いているわけじゃない」と発言したこともある。反発など恐れなかった。 1995~99年のTBS「向田邦子終戦特別企画」では向田さんの社会派色が鮮明になった。もっとも、軍部批判をしたわけではなく、描かれたのは戦時下の家族愛や恋愛。市民の中にあった戦争だった。 向田さんは刑事ドラマの走りである日本テレビ「ダイヤル110番」(1957年)の脚本家陣にも加わっていた。TBS「七人の刑事」の第2シリーズ(1978年)も書いた。幅の広い脚本家だった。 1980年には短編小説集『思い出トランプ』(新潮社)収録の「犬小屋」「花の名前」「かわうそ」で直木賞を受賞する。本業の脚本でもギャラクシー賞などを得ている。