映画「アバター」の山のモデルも 新旧織りなす中国湖南省の旅──写真家・倉谷清文
桃源郷の村
長沙を離れ常徳市桃源県の桃花源に向かった。 中国では誰もが知っている昔話で、陶淵明が1600年前に著した詩「桃花源記」がある。昔、道に迷った武陵の漁師が谷川を遡り、桃林の奥に光の差す岩穴を見つける。そこを抜けると美しい風景が広がる村があった。村の人々は世の戦乱も知らず、平和に暮らしていた。数日後、自分の家に帰った男は再びその村の入り口を探したが見つけることができず、後に続く誰もが見つけることが出来なかったという。 その桃花源記のモデルになった村が桃花源である。 2001年、国家4A級景区に指定された桃花源は国内からの観光客も多い。村の桃花洞の洞窟を抜けるとまだ青い稲穂が揺れる水田、そこを流れる小川が目に入ってきた。正直なところ日本の田舎のどこにでもみられる風景で少しがっかりした。 のどかな小径をカメラ片手に歩きつつ、ふと考えてしまった。桃花源記の話を聞くとそこがまるで夢のような仙境だと思い込んでしまう。しかし、それは俗界から見た世界である。この場所が平凡に見えるということは俗界が平和であるということだ。多民族であり、長く戦乱の続いた歴史のある中国では、桃源郷に夢見た思いは強いのかもしれない。この桃花源が再び本当の仙境になってはいけないのだ。
世界遺産「武陵源景勝地」
湖南省を旅するにあたり一度目にしておきたかった場所があった。張家界の武陵源である。369平方キロメートルの広大なエリアに奇岩の山が3000以上存在する。地殻変動で隆起し、風雨で侵食を受けた石柱群は高さ200メートルから300メートル以上のものまである。 天子山ロープウェイに乗り山頂へと向かった。ゴンドラに乗り込み岩山に目を奪われていたが、裾野に広がる森が意外と深いことに気づいた。石柱が風雨で侵食され、そこに植物が自生していく。それはごく自然なことなのだが、「仙女散花」の奇岩を見るとそれが自然であることさえ不思議に思えてしまう。 行き着いたのは曇天の張家界であったが、目の前の眺望はまさに中国山水画の実景のようだ。世界にも奇岩の名所はいくつかあるが、動植物とこれほど調和のとれた場所はなかなかない。 アメリカのSF映画「アバター」がヒットした頃、その山の一つ乾坤柱(南天柱)がモデルになったという話から「アバター・ハレルヤ山」に改名されたことが話題になった。観光客誘致に力を入れるのはここ中国でも同じだ。ヒット映画にあやかり少しでも外国人観光客を呼び込もうとする熱意はわかるが、自然が作り出した石柱群とその経年を感じさせる木々の緑は中国人に限らず、世界中の誰もが認める自然遺産に値する。国内からの観光客は多いようだが、海外からの訪問客はまだ少ないようだ。映画や三国志がきっかけであれ中国に魅せられて訪れる旅行者も急増していくであろう。 張家界の町で泊まった宿は土家(トゥチャ)族が営む旅館であった。チェックインすると、初老の女性が笑顔で地元の黒茶をもてなしてくれた。部屋には手書きの歓迎メッセージメールも置かれていて、接客に対する細やかな配慮が感じられた。朝食の時、コーヒーが飲みたくなりそのことをカウンターにいた女性に伝えたがなかなか通じない。するとすぐ仲間の従業員を呼びに走り、なんとか応えようと急いで戻ってきてくれた。3人揃って身振り手振りで会話する様に他の宿泊客も笑っていた。 急成長する中国経済の中に海外との交流、観光にも力を入れる中国。20年前に行った殺伐とした上海で受けた印象と明らかに違う。変化していく街の景観以上に悠久の歴史がある中国と人々に魅了された湖南省の旅であった。 (写真・文/倉谷清文)