フェラーリのカリスマ、ルカ・ディ・モンテゼーモロが成し遂げたこと 【第7回】エンツォ・フェラーリ誕生秘話
期待に応えた奥山清行
当連載(第5回)でお話したように、土壇場で思わぬ大修正が入った360モデナのスタイリング開発現場だったが、まさにその場で、「事件」を興味深く見守っていた一人の人物がいた。 456GTのリスタイリング、そして充分な付加価値を備えた2+2モデルの612スカリエッティ、そしてフラッグシップの599GTBフィオラーノと矢継ぎ早にフェラーリのスタイリングを手がけ、新世代ラインナップを作りあげた奥山清行であった。 モンテゼーモロの改革も順調に進み、8気筒系も360モデナというニュージェネレーションの開発を終え、その総仕上げとして取り組んだのが創立60周年に向けての(実際は少し早いが)F50後継モデルであった。開発に際して多くの船頭が存在したF50とは違い、モンテゼーモロが自由自在に采配を振るって完成させた、まさに彼の代表作といえるのがエンツォ・フェラーリ(以下、エンツォ)であった。 エンツォはまさにイタリア自動車業界のオールスター・キャストが集結し、その中で企画が進められた。ピニンファリーナからはその黄金期を作りあげたセルジオ・ピニンファリーナ、フェラーリの親会社フィアットからはトップのパオロ・カンタレッラがサポート役を。そして、フィアットを牛耳る真のカリスマ、ジャンニ・アニエッリが健在であったことも忘れてはならない。 そんなフェラーリ史に残る重要なプロジェクトのスタイリング開発キーマンとして選ばれたのがピニンファリーナのデザイナー奥山清行であった。彼はピニンファリーナにおいてまだ2年のキャリアしか持たなかったにも関わらず、この特別なモデルをゼロから手掛けるという素晴らしい幸運に恵まれたのだった。 モンテゼーモロはエンツォに関してこのように語っている。「エンツォは私のフェラーリ人生の中でもっとも重要なモデルです。今まで『マラネッロ』、『モデナ』など、フェラーリと関わりの深い名を冠したモデルを手がけましたが、エンツォは別格です。創始者の名前を車名に付けるということは、それを作りあげる私たちにとてつもなく大きな責任が生ずるのです。しかし私たちはやり遂げることができた。結果として完成したエンツォはその名に恥じることのない、私達が考えうる中で最高のモデルとなりました」と。 しかし、奥山にとってこれはとんでもないプレッシャーの苦行であったことも間違いない。モンテゼーモロは全てを彼に任せた代わりに、その要求もとんでもなく厳しかった。さすがの彼もストレスで体を壊すほど……。 奥山が語ってくれた「人生を決めた15分」のエピソードは、とてもエキサイティングで筆者も大好きだ。スタイリング開発現場では、そのエピソードに描かれたようにとんでもなく切迫していた。