フェラーリのカリスマ、ルカ・ディ・モンテゼーモロが成し遂げたこと 【第7回】エンツォ・フェラーリ誕生秘話
スタイリング開発にも積極的に関与
text:Shinichi Ekko(越湖信一) photo: Ferrari S.p.A.、ITALDESIGN、Kazuhide Ueno(上野和秀) ピニンファリーナとの関係性改善に乗り出したモンテゼーモロだが、彼自身も多くのスタイリング開発現場に携わり、その全権を握る遙か前よりフェラーリの開発現場に立ち会っていた。 彼はスタイリング開発において多くの信頼できるブレインを抱えており、ピニンファリーナへの強力なプレッシャーを与えることのできる、いわば彼らのライバルであるジョルジェット・ジウジアーロとも長く懇意にしていた。 2005年にはジウジアーロのデザイナー活動50周年を記念してイタルデザインが制作したワンオフカーGG50にも、快くフェラーリ・エンブレムの使用を許可している。 モンテゼーモロはそれまでの豊富な経験の中から、ブレインの意見は参考にしつつも彼自身でプロダクツの方向性を判断する技量も磨いていった。それだけにスタイリングの開発現場では明確な意思表示をし、そのスタイリングが彼の定めたコンセプトからぶれないことを絶えずチェックしていた。 筆者もモンテゼーモロとフェラーリやマセラティ、はたまた他ブランドのモデルに関しての会話を交わしたことがしばしばあるが、彼のコメントは理論的であり、かつエモーショナルで説得力があったと認識している。もっともデザイナー達に言わせれば、朝令暮改の達人などと称されることもあるようだが(笑)。 経営トップがスタイリング開発に深く関わり、トップダウンでその決断を行うという風土はヨーロッパの自動車ブランドの特徴でもある。その決断には責任も伴うし、その判断をひとつ間違ったら経営が傾くこともありうるほどの重責だ。 しかし合議制を取り、判断の所在を曖昧にすることが良い結果を生まないことも彼は身を持って学んでいた。前述した550マラネッロ、F355、360モデナなど、彼のプロデュースした各モデルはそのスタイリング・コンセプトが明確であり、マーケットの評価も高かったことを考えれば、彼の方向性は間違っていなかったのであろう。