“SNS不適切投稿”の岡口判事を「罷免」した弾劾裁判の“中身”の問題点…国会議員が「裁判官の表現の自由」を裁く危険性
証拠なき恣意的な事実認定も「弾劾裁判所の裁量」?
岡口氏は、弾劾裁判での事実認定のあり方についても問題があったとする。 岡口氏:「『国民の信託に対する背反』の認定方法にも問題があった。 弾劾裁判所は、民事訴訟で私の『刑事事件投稿』が不法行為にあたると判示したことを主要な理由としている。 民事訴訟は当事者、つまり私と被害者遺族の間だけの問題だ。なぜ、民事訴訟で不法行為と判示されたことが『国民の信託に対する背反』という国民全体の問題になるのか。 もしそのように認定するならば、証拠が提示されなければならないはずだった」 ところが、弾劾裁判の判決理由には、事実認定について以下のように記載されている。 「『司法に対する国民の信頼』を害したかどうかの認定は、その時々の弾劾裁判所を構成する裁判員の良識に依存する」 「時の弾劾裁判所の裁量に属する項目であって、通常の要証事実のような立証責任は問題にならない」 岡口氏:「事実認定は裁判所(裁判官・裁判員)の自由な心証に委ねられるが(※)、恣意的に行うことは許されない。経験則に則った合理的なものでなければならない。 また、その前提として、事実の認定は当事者が提出する証拠に基づかなければならず、裁判所はそれ以外の証拠を勝手に考慮してはならない」 ※民事訴訟法247条、刑事訴訟法318条参照 前者についてはいうまでもないが、後者については補足が必要だろう。「証拠裁判主義」といい、刑事訴訟法では明文で定められている(同法317条)。また、民事訴訟法ではストレートに定めた条文はないが、当然の前提と考えられている。 岡口氏:「裁判官弾劾法は(証拠裁判主義を定めた)刑事訴訟法の規定を準用している(※)。 それなのに、弾劾裁判所が事実認定のあり方について『弾劾裁判所の裁量に属する』『通常の要証事実のような立証責任は問題にならない』と断じているのは、裁判の基本原則を無視した重大な違法があるといわざるを得ない。 東京弁護士会の会長声明でも、この点を指摘して批判している。 弾劾裁判の証拠調べの手続きには刑事訴訟法の規定が準用されているが、もしも刑事訴訟で同じことが認められたら、とんでもないことになる」 ※裁判官弾劾法29条2項、刑事訴訟法317条参照 岡口氏に対する弾劾裁判の罷免判決は、上述の通り、判決と理由との論理的整合性、法解釈のあり方、表現の自由という重要な基本的人権に対する理解、事実認定と証拠との関係といった点に問題を抱えていることが指摘される。また、それに加え、前編で指摘された手続き上の諸問題もある。 弾劾裁判も「裁判」であることに変わりはない。また、罷免判決は、裁判官の身分のみならず法曹資格までも奪うという重大な不利益をもたらすものである。だからこそ、論理的に筋が通っていることが要求される。また、事実認定も証拠に基づき合理的な経験則に則って行われなければならない。法の解釈適用も、原理原則に従わなければならない。 そうでなければ、事実上「なんとなく裁判官に相応しくないから罷免する」「とにかく気に入らないから罷免する」ということが許され、まかり通ってしまうことになりかねない。 そして、人権保障の担い手である裁判官に対する「裁判」でそのようなラフな扱いが認められるならば、一般国民の基本的人権の保障の砦としての裁判所・裁判官の役割が期待できなくなるおそれがある。 岡口氏に対する罷免判決の「結論」を支持する、しないにかかわらず、その点に留意しておかなければならないだろう。
弁護士JP編集部