「ウォール街の巨熊」カラ売りで勝ち、カラ売りで破綻した生涯 ヤコブ・リトル(上)
米ウォール街革創期の相場師であるヤコブ・リトルは、「ウォール街の巨熊」とも呼ばれました。当初は街界隈で嘲笑されていましたが、やがて成功を積み重ね、恐れられるようになっていきました。“リトル包囲網”もものともせず、カラ売りを続けて巨利を得ました。3度は破産に追い込まれたものの復活、しかし4度目にしてついに没落。カラ売りで儲け、カラ売りで破綻した人生でした。ヤコブ・リトルの前半生を市場経済研究所の鍋島高明さんが解説します。 2回連載「投資家の美学」ヤコブ・リトル編の第1回です。
相場以外に興味のない「相場の鬼」
ヤコブ・リトルは「相場の鬼」だった。かつてニューヨーク株式取引所の理事長室には、功績のあった傑物たちの肖像画が掲げられていたが、その1枚は「ウォール街の巨熊」と題したヤコブ・リトルの肖像画であった。リトルは生没年ともはっきりしない伝説の相場師だが、バブル景気と1857年の金融恐慌とともに没落したと伝えられている。カラ売りで巨利を博し、カラ売りで破綻したため「巨熊」の異称で呼ばれる。 唐島基智三訳著「アメリカ大財閥の暴露」はウォール街革創期の大立物リトルについてこう記されている。 「写真で見ると彼は背が高く、やせ形で無造作な服装をし、やや猫背であった。彼は徹頭徹尾、投機に没頭していた。午前に綿花や商品の思惑をやると、午後は株をやる。相場以外には彼の趣味はほとんどなく、誰かが商売でウォール街に残っている間は、断じてウォール街から離れることはなかった」 例え1人でも取引所周辺に残っておれば、その男に向かって勝負を挑んだ。今日盛んなOTC(場外取引)はリトルの最も得意とするところだった。 リトルは市場操作の元祖であり、「ウォール街のナポレオンI世」と呼ぶ人もいる。名著「ウォール街二百年」(ロバート・ソーベル著)は「ウォール街最初の偉大な専業相場師、株式ブローカー仲間の最初のリーダーだった」と高い評価を与えている。 ウォール街の株式仲買人は経済界で高い地位を与えられ、社会的名誉を重んじるのは、今も昔も変わりない。 「彼らは営業においては堅実、正直を重んじ、しかもいったん繁忙なる業務を離るる時は平和なる社会生活を送ろうとする。したがってリトルはただ1人の異端であった」(熊田克郎著「ウォール街とアメリカ経済の発展」)